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絶対的他者

皆さん、こんにちは。鷲見です。
先日
夜、とぼとぼと家に向かっているときに
前でキャッキャと自転車に乗っていた2人の女子高生が
「あーー」という楽し気な声と共に
1人が急に自転車を止め
もう1人がよろけ
結局2人で楽し気によろけるという
ダンスをしていました。

何かと思っていたら
「ドン!」という音が聞こえ
顔を上げると
花火が上がっています。

あわてて彼女たちは
制服のポケットからスマホを取り出し
夜の空に
小さく輝く
その花火にカメラを向けます。

「うわーキレイーー」
「えーーすごーーい」
とシャッターのタイミングを見計らっています。


いままで花火が綺麗だと思ったことはありませんし
それを写真に撮ろうとも思いませんが

秋の薄ら寒い夜に
そんな光景に出会うと
なんとなく平和を感じられて

「花火も案外、いい仕事するじゃん。」と
思いました。


さて
鬼滅の刃の映画をテレビで見ました。

けっこう好きなマンガでしたし
アニメの出来がなかなか素晴らしいので
楽しめました。

たくさんの
いいセリフがありましたね。


「何かひとつできるようになっても
またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ。
凄い人はもっとずっと先の所で戦っているのに
俺はまだそこに行けない。」


まあその通りなんですけれど

この前
生徒と話していて
同じようなことを言っていました。


「おれ、ここで頑張れば
大学いけて
もう楽になると思っていたんです。
でも、
将来のことを想像したときに
あと2,3回は
これ以上に頑張らなきゃいけないのかなって。
もしかしたら
ずっと乗り越え続けなきゃいけないのかなって。
それ考えたら昨日寝れなくなっちゃって笑」



「そうなんだよ」
と思ったのと同時に
息苦しさを覚えました。

いつの頃からか
「ハードルはどんどん大きくなりまっす、ウェイ!」

なんて
若造が偉そうに盛んに言っていたのは
過去になってしまい
今じゃまったく言いません。


「そうなんだよ。
でも、そうじゃないんだよ。
未来って本来そうじゃないじゃん。」




未来を信じるって
そういうことではないわけで。

計算して
意識化して
理解して
現在の視点から
予測推測して
量的に延長した
その「点」

統御されたその「点」を
多くの人は「未来」と思っているわけですけど

未来とは
そういうことではないわけで。



未来とは
未定であり
何が起こるかわからない
ドキドキワクワク

打ち上げてみないと
花火の色なんてわからないのです。



未知のもので
不安ゆえ
既知で埋めようとして
「確実な」未来を描き

そりゃもう
忙しくて
息苦しくなっちゃっているのですが


とりあえずは
目の前の一つのことを
できるようになろうじゃないかと。

炭治郎みたいに思うことは
多々あるけれど
まあ
今できることを一所懸命にやってこうゼ、と。



未来っていうのは
「絶対的に他者であり、絶対的に新たなもの。」

レヴィナス先生が言っているんだから
きっとそう笑


「予測された未来」っていうのは
とても窮屈で
とても忙しくなっちゃうので


まあ
今の時代
まったくそれを「持たない」というのも難しいかも
しれませんが

既定の事実ではない
本当の想像しえない「未来」を楽しめるように

その時にできることを
精一杯やっていくことが大切ではないのかなと
そう思っています。



不安で不確実で何が起こるかわからない
そんな本当の未来だからこそ
ワクワクドキドキ鬼退治。

成し遂げられそうにないような
難しいこと
「できちゃうかも!!」って
期待してしまうではないですか。







心を燃やせ
前を向け!

煉獄さーーん!










復権

皆様、こんにちは。鷲見です。

知り合いが
ときどき

丈の短いスラックスで
白い靴下スタイル
であるときを
見かけます。


はじめてみた時

「そうか、君もマイケルがすきなのだな。」


そう思いました。


特にそんな会話がしたいわけでもなく
マイケルジャクソンファンを探しているわけでもないので

確認することはありませんが



静かに
親近感を抱いています。





秋ですね。
受験まであと少し。

いやいや
まだ結構ありますね。


受験勉強の相談は
常にあるのですが、

この仕事は
何なのか
しっかり考える人はあまり多くないかもしれないと
ふと思ってみたり。


僕自身が
受験生であれば
塾や予備校には
まず
間違いなく通いません。

なぜならば
ストーリーを組み立てられるからです。
自己修復もできて
対処できない事態が
受験においては存在しないからです。


塾に通う生徒は
なぜ来るのかと言うと

「合格したいので」
「勉強できないので」


という単純で
表面的な理由でやってくるのですが、
実のところ
それだけではなくて

もっと深くのぞくと



「もうストーリーが破綻してて
自分では対処できなくて
修復しようにも
どうしようもなくて、
新たに正しいストーリーを再構築願いたい。」


とやって来るのです。


ということは
ストーリーが破綻していない限り
塾や予備校は不要で
自分の信じる物語を
突き進めば良いわけです。


塾や予備校を必要とする場合は
回復する予測ができなく
受験勉強においては
危機的状況なのです。

そこで
塾長と生徒は
互いに
状況を把握し

経験と知識で
修正したストーリーを新設し
「こんなんどうよ?」と
暗く焦った生徒に対して
提案し与えるわけです。


そして
生徒は
晴れ晴れとし
「おおっ、いいじゃん。頑張るぜ。」と

再度
管理者としての自分を取り戻すわけです。


しかも
塾長から
新たに「知識」や「技」を分与されて
自己管理者の権限を取り戻すわけです。

レベルアップして
新たな自分を取り戻すのです。


この時
生徒は
何も必要としないのです。

成功に向けたストーリーを手に入れて
道具も手に入れて
知識も増やし
気持ちも晴れて

何も必要としないのです。


管理者として
自律的に学習するだけなのです。



塾や予備校に通い続けるというのは
新設されたストーリーが
不十分で
欠落箇所が存在して
何かに常に頼る必要があると感じるからです。

それは
ときに意図的であり
ときに偶発的であり


いずれにしても
提案者の
力不足がもたらすことなのです。



まあ
1回のカウンセリングで
「もう完璧に立ち直りました」

なんてことになると
こちらの商売が大変難しいのですが


でも

「それはそれで正しいよな。」


いつも思っています。



実際は
定期的に
ストーリー再構築・修正が必要になりますが。




「もう遅れてて、やばいっす。っす!!」


ということは
日常です。笑




ただ
同様の力や
知識
新設された適したストーリーを持ったのならば

塾や予備校に
頼り続ける必要はないということです。


管理者としての立場を復活させたのならば
管理者として
自分を管理しないといけないということです。

あらゆる面で。







まあ

頼ってください。


チャリンチャリンチャリーーンと
長い間
頼ってください。







チャリンチャリン

大歓迎です。







いまだに支配できない

皆さま、こんにちは。鷲見です。

いろいろなものの頻度を上げようと
日々考えているのですが

暇そうな日常は
実は結構
時間がなく

そのコントロールに苦心しております。


そんな中
パラリンピックの競技を
テレビで見ようものならば

あっという間に
2,3時間は
過ぎてしまうのです。


テニスの国枝選手が金メダルをとった試合も
見てしまいました。

このゲームで終わり。
このゲームで終わり、と
何度心の中で言ったことでしょう。

最後まで見るという。
なんという愚行。


いやいや
感動しました。

彼は何度も頂点に立っていますが
それでも
あれほど感情があふれてしまうものなのです。

いろいろなものと
闘ってきていたのです。

車いすバスケットボールも
面白かったですねぇ。

男子は銀メダルでしたが
準決勝、英国との戦いは大変熱く
案の定
自分を止めることができませんでした。

まあ、
あの試合を途中で見ることを止めるということこそ
愚かであると
自分を納得させております。

車いすバスケットボールは
ときに
プレイヤーが車いすごと吹っ飛び
倒れます。

自分で器用に起き上がるのですが
中には起き上がれない選手もいます。

そんな時は
敵味方関係なく
手伝って
選手を起こします。

ここがなかなか良いのです。

大変激しいスポーツです。
でも
互いに協力して起きる手伝いをするとき
そのリズムは穏やかになり

なんというか
緩急があって
とても心地よいのです。

気持ちのいい音楽のようなのです。





車いすバスケットボールと言えば「リアル」です。
高校生ぐらいの時
よく立ち読みしてました。笑

とにかく
漫画は
立ち読みしていました。笑










「リアル」は本当に面白い漫画です。
そして
おそらくまだ連載中ではないかと。

読みたくなってしまいました。



それは
つまり
自分の時間コントロールの難度を
上げることを意味するのです。

果たして
この
甘美な誘いを断ち切れるのか。








自分の愚かさを嘆き
甘美に溺れる

まあ
それが
世の常です。



















「リアル」読もうっと。






















注意深さと節度

皆さま、こんにちは。鷲見です。

涼しくなってきました。朝晩は。

夏休みに入る前でしょうか、
近くのスーパーで
ウスイ君に偶然会いまして

買い物を終えた僕の品々をのぞき込んで
「すみセンセー、今日は何のパーティーですか?笑」
「いやいや、普通の食料調達だから。」


常々思うことですが
スミ塾長というのは
生徒達に
どこか”小ばか”にされているのです。

ウスイなんていうのは
高校入試の時も
大学入試の時も
結婚して子どもができた時も

だいぶお世話しましたよ。塾長は笑

大感謝されども笑われるなんていうことはないはずなのです。




まあ
きっと尊敬もしていることでしょう。

そういうことにしておきましょう。












高校進学を決めた春
はじめて大江健三郎の本を読み
「なぜか読めない」と
当時の知識と読解力では対応できないと感じた
そんな記憶があります。

形容がヌルっとしていて
なんとなく読めないのです。
そんな思い出です。


パラリンピックを見ていて
「そういえば、大江健三郎には知能や身体に障害のある息子がいたな。」
とふと浮かびました。

彼との日々はなかなか大変だと
エッセーのような文章で投稿していたのを読んだことがあります。

ある日
息子は道で転びました。
転ぶというよりも
自分から倒れたようだとのこと。

大江健三郎も歳でヨロヨロで
頼りなく
傍からは見えます。

そんな2人の姿を見た
婦人が「大丈夫?」と声をかけ
息子の肩を抱えるようにしました。
でも彼が一番嫌がることは
他人に触られることなのです。

それを知っていた大江健三郎は
しばらく放っておくように婦人に強く言いました。

婦人は憤慨し
その場を立ち去りました。






そこに
じっとその光景を見ている高校生ぐらいの少女がいたそうです。
大江健三郎は気づき
彼女を見ると
ポケットからケータイをのぞかせています。

ポケットから出すわけではありません。
大江健三郎に「ケータイあるよ」と示し
注意深く見ているのです。


息子が自力で立ち上がったのを確認すると
彼女は会釈して
自転車を走らせて行ったのです。


彼女は
「必要なら救急車にでも家族にでも連絡できるよ。協力する。」

そういうメッセージを大江健三郎に送っていたのです。



これは
ある種
僕の行動の理想として
自分の中に存在しています。

ときに
婦人のような積極性が必要なこともあるでしょう。
いろいろなことで
そちらの方がうまくいくかもしれませんね。

それでも
僕の手本は高校生の彼女なのです。



哲学者のシモーヌヴェイユは言いました。
「不幸な人間に対して注意深くあれ。
問いかける力を持つかどうかに人間の資質がかかっている。」



不幸の定義は
なかなか難しい話です。

ただ、「注意深く」という点が
さまざまな方向に向かう起点になっていると思います。




大江健三郎は書いています。
「不幸な人間への好奇心だけ盛んな社会で、
あの少女の注意深くかつ節度ある振る舞いに
新しい人間らしさを見出だす気がします。」と











この話を思い出すたびに
美しく生きたいなと思うものの

なかなか
なかなか。



相も変わらず
小ばかにされております。





注意深く節度ある小ばかにされる塾長になろうと思います。

















がんばって良かった

皆さま、こんにちは。鷲見です。

オリンピック、最高でした。
ぼくは感動しちゃいました。

みんなお世話になった人々のために
闘っていましたね。


人は
なかなか自分のためだけには生きられないものです。



年を重ねると
選手の苦労が「透けて」見えて
自分の心情が困ったことになってしまいます。










金メダルを獲得した選手がたくさんいます。
負けた選手もいます。
走ることすら叶わなかった選手もいます。


勝者の言葉、

そして敗者の言葉、

ともに心に響きます。









5度目のオリンピック出場
1位ずつ順位を毎回上げてきた上村愛子選手。

悲願のメダルに届かず、



彼女は言いました。

「すがすがしい気持ちになるんだなあって。」
「メダルはないんですけどね、頑張って良かったと思います。はい。」










この世には
報われない結果があり
果たされない目標があり

この世には
正されない不正があり
消えない悪があり


それは
おそらくは真実で

まあ
間違いなく事実なんですけれども



だからと言って
何もできないわけでもなく
何をしても無駄というわけでもなく
何もしないというわけでもありません。




本当に
いろいろなことが
あるんですけど

自分のできることを最大限やってみようと。


メダルをとることができなくても
賞賛を得ることがなくても
人に見られることがなくても


とにかくどんなことがあっても
起こっても

できることは必ずあって
それを愚直にやっていきましょうと。



そして
精一杯やってきました。

形あるものは何もつかめなかったんですけど


そして
精一杯やりきりました。









こんなことが
あのインタビューに包摂されているようで
僕は本当に感動しました。

今回の
オリンピックのインタビューでも
これが
何度も過り
心がグラつきました。




オリンピック選手だけではなく
自分たちにとっても


この通りで、

勝利よりも
敗北の方が
圧倒的に多いわけです。

どうしようもないことだって
山ほどあるわけです。

不公平なこと
不条理なこと
いっぱいあります。




「それでもやりましょ。できることをやりましょ。」

ってことです。









その無償性の
力強さと格好良さに

心を奪われます。



そして
それは

たとえ形ある何かを得られなかったとしても
人としての大切なものを得られたんじゃないかと思っています。








「頑張って良かったと思います。」




清々しく
そう言えるように頑張りましょう。






















言葉がつくる

皆さま、こんにちは。鷲見です。

オリンピック見ています。
日本選手はすごいですね。




金メダルをとったとしても
全開の喜びではなく

責務を全うしたという
安堵の表情が読み取れてしまい


その終わる瞬間までの
悲壮や苦悩が伝わり
感動してしまいます。



勝利とはそういうもので
栄光とはそういうもので

ヒーローとは
そういうものです。




フェンシングとか
アーチェリーとか
むかし
やりたかったんですけれども

機会がなかったのです。


見てる分には
とっても面白いですけれど。





スポーツ選手も
純粋にスポーツに打ち込めるなんていう
恵まれた状態にある人は
そうそういるわけではありません。

さまざまな規制の中で
いろいろと調整して
強くなるための環境を作っていかなくてはなりません。

また
現代では
見えないネット上の敵と気をつけながら
付き合っていかなくてはなりません。


本当に
大変そうです。



オリンピックで戦っている選手を見て

自分の仕事が「教育」だなんて
口が裂けても
言ってはならないと

まあ、言ったことはないんですけれど、


「教育」というの大枠の部分的な
極小要素はあるにせよ、

純粋な全力100%教育ではないのです。


経営を片輪にもち
資本主義の中で
「教育全開」を標榜する場合
多かれ少なかれ
矛盾や後ろめたさを持っています。


ちなみに
スミ塾長は
「売上全開」を謳っています。

「すべては金だ!むしり取れ!」と日々唱和しております。









それにしても
SNSの誹謗中傷はひどく
ニュースになっています。


一生で
最も多い会話の相手は自分です。

自分にどのように声をかけるかで
その状況の見方や
次の行動が変わり
作り出す世界が変わっていきます。

ただ
自分にかける自分の言葉は
外部の影響を受けて
変化するものです。

ネガティブな言葉は
悪い循環をもたらします。

そういうものです。


「ポジティブであれ!あれ!アレ!」なんて
気持ちの悪いことを言うつもりはありません。
根がネガティブだっていいじゃないですか。


そこは最重要ではありません。



大切なことは

影響を受けてしまうので
つかう言葉や
かける言葉は
ポジティブな言葉にしようということです。

より良く楽しく過ごすために。





誹謗中傷って
いったい誰の得になるのでしょうか。
その言葉を使う自分も、
使われた相手も、
その言葉を聞いたり見たりした人たちも

誰にも
得はなくて。


強烈に非合理過ぎて
鼻血が出るかと思いました。




言葉の「暴力化」を暴発させてしまう人は
感情に左右される泥沼から

助けを求めて
抜け出すことが必要です。


暴発を誰かにぶつけても
苦しみは続くのですから。











いろいろと問題のある
今回のオリンピックパラリンピックですが

スポーツの楽しさや面白さ
選手の素晴らしさを見ることができて

僕は毎日
とても感動しています。







素晴らしい日々を
ありがとうございます!
















言語の活用

皆さま、こんにちは。鷲見です。

庭に咲く梅が
実をつけ
落ちています。

隣家のおじいちゃんが

「梅ジャム作るからもらっていってもいいかい?」と。

「どうぞどうぞ。」と。


数年前に作ってもらった梅ジャムは美味しかった。


梅の花は綺麗ですが
実った梅の片づけが少し面倒で
「今度の庭の手入れの時に処分しようか」

なんて思っていた自分の無粋さを反省。
色気をなくすところでした。

梅ジャム楽しみしています。








さて、
頭の良い人には
そうそう出会うものではありませんが
本当にときどき

「あらら、この人、頭がいい。」と感じることもあります。


人の知能は抽象的に思考できることによって
高まっていったと言っても良いと思います。

大変高度な思考です。


抽象的思考訓練が知能向上をもたらします。



数学の勉強なんて
良い訓練ですよね。




また
「論理的思考」や「推論」といった能力も
その人を助けてくれるスキルです。

論理性や推論というものは
基本的に
言語によって行われます。

つまり
言語の活用によって
それらの能力は鍛えられます。


様々な学習科目がありますが
国語(言語)というものが
論理力という土台になっているのです。


文章を作成するということは
論理展開を意識して行うわけですが
そのとき
論理的に正しく文が組み立てられているのかを意識し
そして
読み手に正しく伝えられているのか推論しながら
行う動作なのです。


意識せず行っていますが
論理の組み立ては
言語を用いて行っているのです。



読み手に正しく伝えるために
論理的に
正確性の高い文章作成が必要です。

つまり
文法的に正しく書くということです。

そして
文法的に正しくても
読み手に意図が正しく伝わらないと
意味がありません。


そこで
読み手の文章把握を推論する必要があります。



文法的習熟度、文章の論理的な構成、読み手の認識を推論する能力、

文章作成は
大変重要な能力を強化してくれます。




受験において
記述、論述、小論文という設問や科目は
まさに
その能力を見ていますし

どの科目においても
論理力や推論力を
計ろうとしています。

東京大学や京都大学
慶應など
難関と言われる大学であれば
その傾向は顕著です。




「論理力って、重要なんだぜ。」
というものの

なかなか
表に直接出てこない力なので
後回しにしてしまいがちですが

「文章を作成する」ということで
少しずつ鍛えられるものです。





そして
その能力の威力は絶大です。















文章を作りましょう。











知能向上を
獲得してやりましょう。












ついでに
合格もいただきましょう。














うっしっしっしっし。













みなさま、こんにちは。鷲見です。

グリーンカレー味のお菓子って。


なぜ、そんな味の企画が
会議を通過するのか。

どうして
生産、販売まで至るのか。
なぜだ。



謎。謎過ぎる。




いやそうではないのかもしれません。
きっと。

思考回路を柔軟に。


あれは
ギャグなのです。
企業から
消費者への
プレゼントなのです。


見つけた時は

「ププっ。グリーンカレー味ってよ。」

とクスっと笑ってしまいました。

笑ってもらうための
味だったのでしょう。

実際に美味しくありませんし。

「ププって笑うほのかな幸せをあなたに」味なのです。




既成概念の中の
合理的な事象だけではないのです。

世の中は
そうそうさみしいものではないのです。



さて
中学の定期テストは
先週から今週にかけてあります。

高校生は
模試結果が返却されたりもして。


何時間も勉強をして
成績は少しずつ上がっていくのです。

勉強をしたところが
出なければ
当然
得点向上になりません。

出題されるのかどうかわからない
勉強をしたからといって
すぐに結果が出るとは限らない
もしかしたら
焦点をあてた学習範囲が
出題されなくて
成績結果という点で
報われないかもしれない

そんなこともあります。




「スラムダンク」は
大好きなマンガです。

何回も書いたことがあると思いますが
通学途中のキオスクで
立ち読みをして

桜木花道と流川のハイタッチシーンで
危なく
涙を流しそうになるという笑

揺さぶられる場面がいくつもある
名作の漫画です。



名シーンはいくつもありますが
もちろん
ミッチーの
「バスケがしたいです。」の回は
スラムダンクの
最高クラスのシーンです。

最近
この回を見たのですが

実はこの回の
メインのストーリーテラーは木暮くんです。

木暮くんの熱い思いが際立った回でもあります。


彼は
本当にすごい人です。

熱く、そして強い人です。

自分が主役ではないことを認識しています。
スター性をもつチームメイトの中で
スターではないと知っています。

来ることすらわからない
自分が主役となる
そんな瞬間のために

練習を怠ることなく


ひたむきに皆を励まし
ときに熱く皆を鼓舞し





「実は木暮って相当のレアキャラだな。」
そんなふうに感じるようになりました。

彼みたいな人には
ほぼ出会えないのです。

現実に輝けるかどうかわからない
光る瞬間がくるかどうかわからない

来るかどうかわからない「その時」のために
力を抜くことなく
努力し続けるということは
並の強さではできないことです。


そう思うと
彼のひたむきな行いや
セリフやしぐさに
とても心をうたれます。













受験勉強に「スター性」は必要ないわけで

まあ
効率性とか
合理性とか

あったりしますが


結局のところ
やるかどうかということです。

続けること
怠らないこと

そういうことができるかどうかで。


日々の積み重ねが
光り輝く瞬間を作る可能性を高めていきます。

勉強したことが
出題されないかもしれませんが
出題されるかもしれません。

ひたむきに
自分の知識や学力を高めるように学習していくだけなのです。



















バランス良くだって

皆さま、こんにちは。鷲見です。

まだまだ、朝晩は涼しくて
最高じゃんと思いつつ
朝起きると
腰が痛くなる
年齢となり

まあ
とは言っても
眠りが妨げられるほどではなく。


そういえば
日野原先生が
「こうやって寝ればいいのです。」

とか言っていたなと思い出すのですが

どうやって寝ればいいのかの部分を
思い出せず
結局
寝やすい体勢で夢の中に入る日々です。






年齢を重ね
俊敏性をなくしていると危惧しているわけですが

なぜか
「バスケットボールはできるか?」

そのことを心配しているのです。


特別にバスケットボールをしていることもなく
今後する予定もなく
学生時代は
体育か遊びでしか楽しんだことがありませんし

もう何年もあのスポーツをやっていませんが

なぜか
「まだ自分はバスケットボールが思うようにできるのか?」
と心配になるのです。


なにかあったんでしょうか。

あるとき
あのスポーツが
自分の中で基準になったのでしょうね。


人間というのは
面白いもので
意識とは全く別のところで

勝手に演算して
勝手に刻んでいるのです。

それは本当に驚くほどに正確な計算であるときもあれば
「おいおい、やめてくれよ。」

その無意識の記載が邪魔以外の何ものでもない時もあります。



まあ
面白いものです。






さて、

なんでもそうですが
大切なことは

原則
「一点集中」だと思っています。

矛盾した行動をとることも
おおいにありますが笑

原則「一点集中」が大切だと
”意識的”に刻んでおります。



生徒の指導をしているとき

「バランスよく勉強したいんですよね。
英語も物理も数学も現代文も日本史も。」




気持ちはわかりますが
効果的とは言えません。

一点集中ではないにしろ
小数科目集中の学習スタイルの方が
結果には結び付きやすく
それが
他の科目に好影響を与えるということは
よくあることです。



そのため
生徒からそのような意見を言われても

賛成はしません。






でも
嘉納先生は著書のなかで
「バランス重要だぜ」と書かれています。


嘉納先生に
そう言われると
やっぱり
バランス型のほうがいいのかなと
思っちゃうわけです。


それに
勝敗にこだわる柔道を
先生は
本質から外れ
十分な上達につながらないと嘆かれているので



まさに


いかに効率よく学習し合格得点をとるか
という指導が少なからず存在している
そんな自分に対して


向けられている指摘ではないかとも感じるのです。








とは言っても

嘉納先生も柔道の一点集中じゃん
とも思ったりもしますけど。





気品ある指導を目指している身としては
嘉納先生は
大変に参考になります。








一緒にやろうぜ

皆様、こんにちは。鷲見です。


冷凍庫を見てみると
きれいにカップ半分食べられたアイスクリームが入っていました。

勉強につかれた
大学生が
糖を補給した残りです。

片側はカップの底が見え
もう一方は、
美しいままにアイスクリームです。


「おっ」と手に取ると

見た目からは
まったく想像のつかない
バランスのわるさで
危なく落とすところでした。



世の中には
触れてみて、
感じて、
体験してみなければ
わからないことが
たくさんあります。









さて、
運動もしていない
毎日ですが

そういえば

予備校の浪人生達と
1週間に1度
市内の体育館をかりて

運動していたことを思い出しました。


日々
席に座り
志望大学に向けて
学習しているので

週一の運動は
彼らにとって
とても良い気分転換のようでした。







運動をする理由は

リフレッシュ
ストレス発散
仲良くなる
健康のため

など

まあ
それなりに理由はあるものの

スタートは

「楽しそうだから、やるか!」

です。




これって
チーム形成で
とても根本的なことではないかなって
思います。

「こうこう、こういう理由があってさ、
それで
みんなで一緒になって
パワー高めて
競争勝ち抜こうと思っているんだよ。」



合理的で
大変きれいな流れです。

でも
人って
いつも
こんなふうに考えて
集まって
盛り上がっているのでしょうか。




渋沢栄一の大河ドラマを見ていても
思うところですが

みんなで集まって
勉強しているうちに
なんとなく
楽しくなっちゃって
盛り上がっちゃって
力持った気になってしまって

「ああ、やべえやべえ、しっかりとした
行動理由固めないと。」

となって
大義名分は実は後付けで

なんていうところが
結構正しいのではないかと。



もちろん
当の本人たちは
大義名分が最初にあって

そして
想いの下
集った同志で、

ということを信じているのでしょうけど。



僕は、

人って
そんなに賢いのかな?って
思っています。



それに
「楽しそうだから、集まってなんかやる?」

というスタートって
とても良いと思います。


なんとなく
楽しそうで
ワクワクするから
人が集まるわけで



「使命感!義務感!正義感!」
だとしても

大そうな社是だとしても

立派な理念だとしても


そのスタートの
はじめの人には
「楽しそう」
「ワクワク」
が間違いなく存在していたと思うのです。






「楽しそうだから、みんなで一緒にやろうぜ。」って
とっても大切なことだと思うんですよね。







集まったり
チームを作ったりするときって
このような原点を忘れがちで

「組織構成」
「決定者」
「理由」

こんなことばかりを考えて

まあ、
これもスムーズな運営には大切だとは思うんですけれど


もっと
もっと
重要なこと、あったよねって


会社とか
組織とか
集まりとかに触れると
感じることがあります。









塾を作ったときも

今ももちろん
変わらずに

ですが、


いろいろと理由はあるものの


「なんか楽しそうじゃん。」
「みんなで勉強すれば、盛り上がるじゃん。」



これは
間違いなく
根底に流れていました。

今もそうです。








「まあ、とにかくさ、楽しくなりそうだから
いっしょにやろうぜ。

何をやるか決めてないけど。笑」




















とりあえず受験勉強か。