価値

皆さま、こんにちは。鷲見です。

あっという間に6月に入ってしまうじゃないですか。
この前、新年むかえたような。

こうやって
日々が
時間が過ぎていくんです。

でも
瞬間瞬間は濃いものです。
大切に過ごしたいものです。

自分の部屋にあった扇風機が昨年に故障してしまいました。
20年ぐらいの付き合いでしたね。
今じゃ売っていないような色合いの扇風機で
結構好きでした。

どんな扇風機を買うべきか悩んでいます。

リビングにある扇風機を見ながら。

その扇風機を見ながら
思うわけです、

「いつもありがとう。おまえ大切だよ。」って笑。

なくなって、
その価値や大切さを知るということは
よくある話です。

でも
まだ
存在する対象に対して
我々は
なくなったときの
喪失感や失望を想像して

つまり
先取りして
その儚さを憂い

大切に愛おしく想うのです。


そして
それは
自分に対しても同じだと思うのです。

愉快で
貴重な
我々の瞬間、

瞬間は常に失われつつある、
失われ続けている
価値あるモノであり

大切なものです。

だからこそ
まず
自分の時間を価値あるモノにするために
「自分にとって大切なもの」

それをしっかりと探らなければいけません。

世間や
他の誰かや
羨ましい人ではなく

自分にとって
本当に大切なものを
探らなければいけません。

自分と向き合うことを先延ばしにしてはいけないってことです。

誰かが教えてくれることではないので。





リビングの扇風機は
元気に回ってます。



あと20年ぐらい
頼むぜ。






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情熱と興奮と楽しみと

皆さま、こんにちは。鷲見です。

今年も撮ってきました。
“理想” を。

いつもの桜。
変わらずの桜。
人生の喜びや美しさの一片を表している桜。

養老先生が
もっと
幸せであること、幸せなことに気づけと言っていましたが

まあ
年齢を重ねると
美しいものに少しづつ気づくことができるようになります。

日常の小さな音や
景色の変化を楽しむことができるように

今挑戦していることにも
楽しさを感じることができたり
自分の中の熱さを感じることができているかと
問うてみるわけです。

ただただ
その日を切り抜ければ良いと考えて過ごしていないかと
反省するわけです。

詩人のソローはかつて言いました。
「多くの人は静かな絶望の中に生きている」と。


もう一度
思い出さなければいけないことは
リハーサルではなくて
常に本番であり

こりゃーもう
ホントに
本当に
楽しまなきゃいけないってことです。

怖いこともあるでしょうし
リスクをとらなきゃいけないこともあるかもしれません。
快適な安全地帯から外に出るべきだと考え
勇気を奮い立たせることもあるかもしれません。

選択が困難なことはたくさんありますし
実際に
何が正解なのかわかりません。

それでも
自分の選択を信じて
自分を信じて
最初の一歩を踏み出し
それを続けてみることが大切なのだと思います。

情熱的に前進し続けようと
思うわけです。

リハーサルじゃないんで。


平和な公園があって
美しい桜が咲いていて

変わらずにあるのです。

その “相変わらず” が。


“相変わらず” に存在していて
そこに居るだけで
なんだか役に立ってる


今年も
理想が
やっぱり
そこにはありました。





そんな人になれるのか!?





まあ、
頑張ろうじゃないか!





春だぜ春。

勉強しろよ、
受験生。








明るく熱い火を灯す

みなさん、こんにちは!鷲見です。
春です!
サクラの
いつもの写真をとってきました。
いつもと変わらず
平和な写真を。

いつもと変わらず、
相変わらずっていうことの大切さを感じます。


さて、
今年も
みなさん
卒業しましたね。

WELCOME!!
ようこそ、我ら社会へ。



なかなか困難な時代です。

毎年、思うわけです。
「困難な時代に卒業生は社会に進出だなあ。」って。

毎年思うわけですが
毎年
みんな
それなりにやっていけてるんで

きっと大丈夫ですね。

社会に出ると
みなさん
間違いなく
何度も
失敗すると思います。

失敗しないように、という教育を受けてきたので
失敗したとき

「あれ、あれ、おいおい、あれ、自分。」

結構戸惑います。

重要なことは
それが普通だってことです。

「もう一度!」って挑むことです。

まあ
偉そうに言うことなんてできないのですが、
こういうもんだろうなって思うことを

皆さんが社会に出ていくにあたって
伝えたいと思います。

人って
受け取ったものや
自分で築いたものを
渡して
伝えていくことがとても大切な使命なんだと思います。

話は戻ります。

世界って
基本、とても楽しいです。
ただ、ときに厳しいことや
障害があります。

躓き、きっと転ぶでしょう。

それでも
諦めず
立ち上がって
目標に向かって研鑽を怠らないことです。

粘り強さを育ててください。

何度も何度も立ち上がること!

「これまで何度も失敗してきたが、それが私が成功した理由だ」
とマイケルジョーダンは言いました。

もし夢があるのなら
諦めずに
立ち上がり続けること!


ときどき
恐怖や辛さに怯えることがあるかもしれません。
おそらく
人として
とても正常な感覚です。

でも
必ず乗り切れるものです。

自分を信じて
その恐怖に立ち向かってみましょう。
跳ね返されても
何度も何度も
粘り強く。

そうすれば
きっと
何かが見えてくるものです。

粘り強く
研鑽を積むことで
拓かれるものです。


そう信じています。




けれども
どうしても
恐れや
疲れに
負けてしまいそうなこともあるでしょう。

自分の力では
立ち上がれそうにないと感じることもあるでしょう。

そんな時は
どうすればいいか。

周りの人に
「助けてほしい」と伝えましょう。

これは
たぶん
とっても大切なことです。

互いに助け合うことが必要なことがあるのです。

きっと
助けてくれる人は
皆さんの周りに多くいるのではないですか。


僕も
ピンチの時に何度か助けたと思いますけど笑
連絡くれれば
ファイヤーー!!って助けます。

ありゃー
おりゃー
ぬおー
どわーー
ファイヤー!!って助けます。

生きていれば
いろんなことがあって
喜びでいっぱいのこともあれば
悲しみに覆われることもあります。

孤独に嘆き
迷いの渦に突き落とされることもあります。

どん底じゃんって感じることもあるかもしれません。

それでも
必ず
次の章がスタートします。

人生は進みます。

ガッツや
やさしさ、粘り強さをもって
前進してください。

意気揚々と
顔を上げ
颯爽と!!


きっと大丈夫
きっとうまくいくと信じて!

実際にそうなのですから!





焼肉やるぞー

お酒飲みにいくぞー





よく頑張ったなあ!!

みんなーー!!

卒業おめでとうーー!!!!!!









何科なんだ!

皆様、こんにちは。鷲見です。
春になってまいりました。
日差しがサイコーです。

今年度の進学がすべて決まりまして
まあ
とりあえず
おちついた感じです。

次のステップに向けて
スタートしてほしいと思います。
皆、燃えているようですので
スタートダッシュです!!

先日
またしても。

綺麗なスーツを着て
綺麗なコートを着て
ピカピカの革靴履いて

よーし行くか、と。

自転車で。

さわやかに
颯爽と。

歩道に乗り上げるときに
年齢による衰えなのか
うまく段差をクリアできず

バランスをくずし
歩道横の
砂利に

ザザ――――っと。

コケちゃいました。

痛みもありましたが
ボロボロになったスーツとコートをみて

「またかよーーーー!!」
と心の中で叫びました。

何年かごとに自転車で転んで
ケガしています。

前回の
歩道の段差を乗り越えられないというのは
第3回WBCの頃でしょう。

まったく同じように転んだことを記憶しています。

「これは一旦帰って着替えなければいけない」と思い、

無表情で立ち上がり
ひさびさに
圧倒的な注目をあびていることを認識し、

「コケるんだゼ、この歳で。」
と心の中で
たっちゃん風につぶやき

静かに
自転車をたてなおし、
大丈夫か確認し

「さて、帰ろう」と。

帰っている途中に
太ももあたりに
水滴を感じます。

雨は降っていないのに
なんだ?

見てみると
赤い水滴が
ポタポタと落ちてきます。

「なんじゃこりゃーー」

「えっ?えっっ!?血?」
「おいおい、どこから?」

身体を調べ
顔を触ります。

アゴが変だぞ。

そして
アゴから血液が噴き出しています。

「なんてことだ」

帰宅して
鏡をみると
アゴが血まみれです。

「なんてことだ」

まずどうする?

流水で洗う。
まあこれだろう。

いや、まてよ。
かなりパックリいっている。

もし骨までむき出しになっている場合は
流しても良いのか?

これは、ちょっとそのままだな。

間違いなく病院行きと判断。

さて、何科だ?

とりあえずアゴ以外は大丈夫そうだが。

整形外科かなあということで
昔ろっ骨を折ったときに行った整形外科に電話します。

「コケちゃいまして、アゴがパックリいっていまして、
血が止まらなくて。治療お願いできますか?」
「当院ではなくて、形成外科の方がいいと思います。」
「形成外科?どこにあるかご存知ですか?」
「ちょっとわかりませんね。お調べしてもらって。」
「わかりました。調べます。」

形成外科って、どこ??

一瞬、
OpenAIを頼ろうかと思いましたが、
グーグル先生お願いします。

タオルでアゴを左手て押さえつつ
右手でマウスを走らせます。

ないぞーーーーー形成外科!

日赤だな!
昔の生徒とか
知り合いがいっぱいいてちょっと恥ずかしいが
仕方がない。

電話をすると
「治療は可能なのですが、
土曜日なので、かなりの時間待ってもらうことになります。」
「そうなのですかーー、どこへ行けばいいですか?」
「その状態なら、外科のある病院が良いと思いますよ。」
「外科ですか。わかりました。」
「もし、見つからないようでしたら、また連絡くださいね。」

グーグル先生、
外科だそうです。お願いします。

整形外科でもいけるとおもうんだけどな。

とりあえず
もう一つの
行ったことのある
近所の整形外科に電話してみよう。

「治療可能です。ただ、12:30までに来てください。」
「大丈夫です!行きます!」

タオルで
アゴをおさえながら。

病院へ向かいます。

ギリギリ間に合いました。

「おおおお、かなりパックリいっているねえ。」
「そうなんです、血がとまらなくて」
「血は大丈夫。止まり始めているから。骨までもいっていないかな。」
「そうですか。」
「ちょっと砂利がついているからきれいにしよう。」

「化膿しなければ1週間程度で治るけど、
化膿してたら、ちょっと話が変わる。
3日後か4日後見せに来てくれる?」

「わかりました。」

そして
4日後に再度診てもらうと
「おおーーきれいにくっついてるね。
ものすごい治り早いね。笑
予定通り1週間たったらガーゼとっていいよ。」

「おおおお、納豆を毎日食べてますから!」

本当に運が良くて
この程度のケガですみましたが

気を付けて
運転しましょう。

自転車を。

高校生も
大学生も
自転車乗るでしょうから。







健康第一!!





自分の評価は自分で決める

皆様、こんにちは。鷲見です。

なんと
あっという間に2月も終わろうとしています。

国公立前期試験も(無事に?笑)終わり、
一息つくといったところでしょうか。

高校生は卒業式ですね。

吉報を待ちつつ
春の香りする卒業式を楽しんでほしいと思います。


まあ
国公立後期試験もありますけれど
いろいろな意味で
なかなか辛い試験です。

後期試験。



受験を決めるとき、
その結果を受けて
自分の進路を決めるとき、

進学して、

社会人になって、


これから
どんどん自分自身で判断し決定することが多くなります。

いろいろな人の話を聞いて
参考にして
判断したりもしますが

最終的な決定は
自分ですることになります。


何かに所属しているとしても
常に
「自分は人として独立している」という意識というものは
大切だと思います。

心のどこかに
あるべきでしょう。



イチロー選手が
メジャーリーグに挑戦する松井選手に贈った言葉が
参考になります。

「世間の目とか、成功というものは変わるものだし当てにならない。
自分がどこで折り合いをつけるのかを探すことだ」

自分自身で評価基準を決め
出した結果について折り合いをつける。

若い頃って
なかなか”折り合い”って難しいのですが
とても重要です。

僕は
いまでも苦戦します。

世の中には
いろいろな条件、環境で
自分の思い通りにならなかったり、

運に左右されたり、

本当に
「成るようにしか成らないね」ってことは
あるんです。


周りが思っているような結果じゃない時もある。




それでも良いじゃんって思います。

自分の評価を他人に委ねるのではなく
自分自身で評価したときに

過去の自身よりも
少しでも前進したか、

力の出し方は
アップしているのか、

成長しているのか、


そんなことを
自分の中に見るべきだと思います。





結果に対しては
責任と潔さは持つべきとして

評価できるのかどうかは
他人に委ねずに
自分自身で
真摯にすべきです。


たとえ
期待された東大合格という結果ではないとしても

「あと少しだったか。
でも、おれ、一年前に比べて成績めちゃくちゃ上がったー!!
がんばったー!!」

評価できる自分があるのなら
それは
褒めてあげればいい。

そして
次に進めばいい。

結果に対して
責任と潔さを持ち、
自分の評価基準で折り合いをつけ
次に進む。

なんてたって
続くのです、人生は。





独立自尊。

さあ、次だ次だ!





イエーイ








それは過去になり、移りゆく

皆様、こんにちは。鷲見です。

小学校のグラウンドで

小学生が薄着のまま
キャッキャッ!
ギャーギャー!
と暴れているのを見て

この寒さに
ヤツらは
まるで冬を感じていないのではないかと
疑いをもち

くそー
羨ましいぜ
基礎代謝!!




わたくし
大人になってしまいました。




さて、
共通テストが終わり
出願先がほぼ決定
または候補が絞られました。

予定通りであれば
あとは二次試験や一般入試に向けて
邁進するのみです。

でも
そうではない結果の人もいるかもしれません。

それは
残念な結果ではありますが
運も含めて
総合的な実力であったと言い換えることもできます。

少し残酷かもしれませんけれども。





気づかなければいけないこと
知っておくべきこと
認識すべきこと

それは
どんなに残念な結果であったとしても
世の中は回っているということです。

時間は進み
ものごとは同時に進行し、変化しているのです。

ですから
「過去」の出来事にとらわれ
縛られて
動きを止めてはいけないのです。


少なくとも
現時点で受験生であるのならば。






ときに
時間が
止まっているかのように
振る舞うことが

身を守るために
次への準備をするために
自分にとって必要なこともあるのかもしれません。


しかし
共通テストの結果「ごとき」では

その振る舞いは
不毛であると思うのです。


厳しいかもしれませんが
あまりにも
世の中のことを知らなすぎるのではないでしょうか。


結果をうけて
「さあ、どうするか」とオプションを十分に検討し
進むのです。

起こった過去に執着しても
苦しいだけです。

自分はこれからどうするのか、
どうしたいのか。

よく考えて
進むのです。

すべては流れていて
すべては変わりゆくもので


だから
心を諭して
進むのです。



まあ
受験の悩みですから

贅沢な悩みです。









雲心月性

川の流れのように




僕は
そんなふうに生きたいなって
思っていますけれど


まったく修業が足りず



利益と力と名声!!

を合言葉に
日々
咆えながら
生きています。






受験生は

あと少しです!

できることをしましょう。
進みましょう。


物語は必ず展開するものです。


大丈夫
大丈夫
拓けるもんです。








ふぁいとーー!!





制御不可の受容

皆様、こんにちは。鷲見です。

いかがお過ごしでしょうか。

僕は
怒涛の半年でした笑

相変わらずです。

ダンディな色気のある紳士に
いつになったらなれるのでしょう。

まあ
目指していないんですけどね。



人は
不確実性を恐れます。
それゆえ
システムを作り出すのです。

ルール
マナー
法律
会社



とにかく
その
不確実性を減退させるために
人が創り出したものです。

我々には制御の欲求があるのです。

過去から
「偶然」でできた自分を
受け入れがたいのです。



それは
必然であり
因果であり
ストーリーであり


そう考えると
人は
安心するのです。


でも
安心材料は
実は
後付けて

選択が
本当に
ただの
偶然なのだとしたら



恐ろしくて
不安でいっぱいになってしまうのです。


だから
必然化が真実であるかのように
認識します。






偶然性を受け入れることは
非常に難しく
そう簡単に
自分のものになってくれません。

「選択による結果の制御」と考えなくては
人は
頼るところがないからです。

選択したのに
その結果が偶然であるのならば

「えっ、えっ、えーー、どうすれば!?」

となってしまいます。


制御できないことの受容とは
大変な強さと柔軟性が必要だと思います。


だからといって
目指すことを
やめてはいけないんです。

あるトイレにも貼ってあります。笑
「恐怖に挑み続けろ」Byカーネギー


偶然に翻弄されて
傷ついても
繰り返し
不確実性に飛び込んで
鍛えていかなきゃいけないんです。



未来から逆算して
1本の
繋がる今を生きる

それは
とても知的で
スマートで
エレガントに感じます。

ただし
分岐点は常にあり
制御不応は常に起こりうる

決して
ルートは1本ではありません。









制御不能を受け入れて
偶然性を楽しみ
柔軟性と強さを持った
そんな紳士になりたいものです。

今年の後半は
その修行のような時間でした。

これからも
挑戦し続けていこうと思います。






自分の
強さも

そして
弱さも受け入れて


たくましく
ハツラツと
お金を稼ごうと思います。


メリークリスマス

さあ
ケーキ食べよう!!








それがパワフルっていうこと

皆様、こんにちは!鷲見です。

ワールドカップサッカー
観ています。

コスタリカに負けてしまいました。
残念。

でも結果を受け入れて
次戦で勝利するための準備をして、
そして
勝利すれば良いのです。

期待で盛り上がっていましたからね。
ギャップにダメージをもらっています。



「期待しています」
なんだか
最近よく言われますけれど
あまり良いことばじゃないなと感じます。

期待というのは
直面する問題を
実際よりも大きく見せ
期待が効果性を低下させることだってあります。

期待というのは
淡い予測によって起こっています。
人は
先を読み
プランを立て
予想通りになることで
平安を掴んでいます。


絶えず変化する世界の中で生きているわけで

必死に現実とのギャップを
もがきながら
謎の理由で
埋めようとするのではなくて

現実に起きている事実と向き合って
すべてを受け入れて
責任をとって前進する。

こちらの方が
相当にパワフルだと思うんです。

プランを立てることが
悪いということではなくて
それに
100%沿うと期待するのが
苦痛の元だということです。

そうそう
予想通りになんて行きません。

期待というのは
なんだか
勝手に浮かんできます。

人間の思考上
いつも生まれるものなんですが

考えてみると
実際に期待から得られるものは
何もないんです。

あるがままを
受けいれて
シンプルに
それに対処して
進む方が
圧倒的に強いですよね。





サッカーの結果を受けて
改めて
期待について感じました。


あるがままを受け入れるっていう
強さが必要です。

受験でも
親子ともに。







塾長は
もちろん

期待しています!!






前途遼遠

皆様、こんにちは。鷲見です。
なんだか
大人になると
時間が経つのが早くなって
このまえ
元日だったような。

とにかく
やらなければいけないこと
やりたいことが
たくさんありまして


その割に
優雅に過ごしたくてと

まあ
欲張りなのです。





さて
「モブサイコ100」というアニメを見ているのですが
これは
学びや成長の本質が描かれていて
大好きなのです。

現在シーズンⅢです。

主人公のモブは
自分の霊力をコントロールできず


ある日
自称霊能力者の霊幻新隆(れいげん あらたか)のもとを訪れます。

霊幻にはまったく霊力はないのですが

彼の言葉に
モブは感動し
霊幻を師匠とします。


霊幻に
特殊な力は何もなく
実際の霊的な仕事は
言葉巧みに
モブにやらせているのですが


モブは”師匠”を尊敬し
彼の深淵な力を信じ
そして
霊幻の存在に助けられているのです。


ただ
実際に
霊幻は
モブに対して
力を持つ者の心得や
導くものとしての矜持を表現します。

それは
正当で
とても真っ当なのです。

時に
感動します。




傍から見れば
詐欺的な霊幻に比べて
圧倒的にモブの方が強く凄いのです。

でも
モブの主観では
遠くまったく及ばない”師匠”なのです。

追い抜くことのできない師匠という認識によって
学びや師弟関係は発動し
弟子は成長していくのです。
勝手に
自動的に。

弟子にしてみれば
「師匠のおかげで」となりますが

師匠からすれば
「何のことだかさっぱり」という状態です。

感謝されたので
とりあえず
「そうだろう、そうだろう、オレのおかげだろう!」と。



師匠は
自分のことで一所懸命で
それを見て
弟子は勝手に学ぶという感じです。

学びのスタートボタンは
常に弟子側にあるのです。
先生や師匠がいくら生徒や弟子の
学びのスタートボタンを押そうとしたところで
押せないのです。

師匠は
”深淵な存在”であるというトリガーでしかないのです。

そして
深淵であるということは
事実であろうが
幻であろうが
関係ないのです。

「おまえ達など、遠く及ばないのだよ、ぬわっはっはっはっは!」
師匠がそう言って
弟子が
「うわー師匠、すげーー!」

これでOKなのです。
生徒や弟子は
自身で学び
成長していきます。



モブサイコ100の
霊幻とモブもそんな関係です。

霊幻は自分の目標や挑戦に精一杯で
それにモブが付き合わされているのです。

ときに
霊幻は
弟子なんてどうでもよくなるのです。

それは
弟子にとっては
師匠がさらに遠く高い頂を目指す存在であるという
認識になり
自分との差を痛感させ
「よし、師匠みたいにがんばろう!」
となるという。

「自分のことで精いっぱい」が
逆に弟子の学びに火をつけ
成長を促すという
面白いほどに自動化されているのです。



霊幻に振り回される
モブですが


そこで
モブは生きるヒントを得たり
学び
成長することによって
日常の課題を解消していくのです。


ひとりで
勝手に
学び
成長するのです。


そして
勝手に
ますます
師匠を超えられない存在に高めていくのです。









一所懸命で
熱意ある先生であることは
大切なのかもしれませんが

「せんせーって、なんか、スゲーーな!!」

そう思われない限り
弟子の学びは発動せず
成長は期待できないのです。

本質だと思っています。






興味ある方は
見てみて下さい。


霊幻と
塾長が被るかもしれません笑


そうなのです
これは
塾長が
本質を知っているからこそ

本当の学びの発動を知っているからこそ

詐欺師みたいな
霊幻と

ホンモノである塾長が
被るのです。



ぬわっはっはっはっは!








詐欺には注意しましょう。



















日常の補充

みなさま、こんにちは。鷲見です。
この前
「夏だ~、暑いなあ!」
と思ったばかりでしたが
いつの間にか
布団をかけて寝ている季節になりました。

もうそろそろ
10月になり
今年も3カ月。

12月からは
慌ただしく共通テスト対策に入っていきますから
すぐに受験シーズンになります。

月に1回程度
髪の毛を切りに行きます。

何でもない
特別なイベントでもない
そんな時間ですが
僕は
定期的に行く
あの場所や時間が好きです。

本当に普通の日常を感じることができて
好きなんです。

特別感がなくて
良いのです。

「意志あるところに道はある」という格言があります。
その通りだと思っています。
不屈の精神を呼び覚ませ!と唱えたりもします笑

でも
意志の力はパーフェクトではありません。

それは
エネルギーであり
資源であり

つまり
使うことによって
枯渇するものなのです。
何度もブログに書いていますけど。


スタンフォード大学の「マシュマロ テスト」や
「意志の力」実験で明らかです。

「勉強が嫌~~~、でもやらなきゃ!!」
これは明らかに意志の力を使っているのです。

もし
意志の力を使い切っているときは
当然使うことはできません。
勉強に自分を向かわせることはできません。

効果的な結果は得られないでしょう。


そんな時は
休憩しましょう。
ちょっとした自分解放は
意志力を回復させます。



エネルギーが充電されているときに
自分の課題をいっきに進めてしまいます。

「あれもこれも」ではなくて
「まずはコレ!」と決めて1つのことを仕上げてしまいましょう。
マルチタスクは考えている以上にはかどっていないのです。


気合を入れて
叱咤激励して
自分のすべきことをする

とても大切なことだと思います。


でも
目標があるわけですから
その目標達成に向けて
効果的に前進するためにも
「自分自身を計測する」ことも重要なことです。

必要ならば
休息して
エネルギーを補充して

意志力を必要としない
リラックスを目的とした
日常の瞬間を楽しみましょう。




受験生はもちろんですが

大人になっても
自分を向上させようとがんばり続けている人
新しい挑戦を始めている人

周りに
そんな人がたくさんいます。



それを見て
よし、がんばるぞ!ってよく思います。






ときには
リラックス日常を楽しみましょう。

髪の毛でも切りに行きましょう。