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音楽で景色が輝く

皆様、こんにちは。鷲見です。

大阪在住の生徒とズームで授業をしているとき
修学旅行の話になり
今年の11月に北海道へ行くというのです。

札幌とか小樽とかへ行ってくるらしいのですが。

味覚がいまいちな僕は
北海道の味わい深い食べ物の良さがいまいちわからず

自然への興味がほぼない僕は
北海道の壮大さをほぼ共感できず

まあ、
つまりは
北海道の良さをいつも紹介できずに終わります。


でも
きっと
良いところです。

でっかいので。










さて、
音楽がテーマの
ハッピーな映画を2本連続で
この前観ました。

家で。


コイワイ先生が
「イエスタデイ」いいよ、というので観てみるか

となりまして。


良かったです。
「うんうん、映画はこういうので良いんだよね。」っていう感じで笑


その余韻に浸りながら
アマゾンが
次の映画をすすめてきまして

「はじまりのうた(Begin Again)」を続けて観ました。

とりあえず
キーラ・ナイトレイが出演しているので観ました。

そして
観始めると
主演の俳優をどこかで見たことがあるのですが
どうしても思い出せません。

検索したい誘惑を断ち切り

「絶対に記憶を漁りこの俳優を確定させる!」と決心し

映画の半分ぐらいの時間を使って
映画鑑賞と並行して
記憶と格闘していました。


まずイメージが手繰り寄せられます。
「なんだか、苦悩している映画に出てたよな、この俳優。」
「その映画でも主演だった?いや主演じゃなかったような。」

この最初のイメージが非常に重要です。
この「糸」をヒントに
記憶をかき分けていこうと。


ぜんぜん
思い出せません。

「名前を知らないのだから
主演じゃないのか」
という仮説のもと

「他に主演がいるけれど
主演級の役での出演」
で記憶をかき分けていきます。


かき分けるといっても
そんなことできるわけもなく

「ううううーーーん」って考えるだけですけど。




そして
映画が半分ぐらい過ぎたところで

脳ってすごいなと感心します。



最近
「インクレディブル・ハルク」という映画を見たのです。
その主役はエドワード・ノートンで
違うのですが


そのハルクがイメージされたときに

脳内のニューロンが発火し
数万個の神経細胞が接続し
まさに稲妻かのように
思い出しました。


「教授じゃん!!!!」


そうです
この映画の主演俳優は
アベンジャーズのハルク役の彼だったのです。

マーク・ラファロでした。


とても良い俳優です。
この「はじまりのうた」を観て
何度もそう思いました。



これも
良い映画です。

何よりも
曲がすべていい。

キーラナイトレイも
とても上手なのですが

なんと
アダムレヴィーンが出演し
歌っているのです。

さすがに上手です。

そして曲がいい。




ウキウキする展開で

さらに
「真っ直ぐ」が
やっぱり一番強いなと
感じさせてくれる
幸せな映画でした。




真っ直ぐに生きるって
それは
なかなか大変で

色々あって
真っ直ぐに進めないこともあって


まあ
それはそれで良いのではないかと思います。


でも
ときどき
思いっきり背伸びすることも
大切なんじゃないかと感じます。
人の迷惑を考えずに、背伸び。
大きく大きく背伸び。



迷惑なんてかければいいんですよ笑



叱られそう。笑







心も
体も
健康第一!




BEGIN AGAIN



伝聞という手抜き

皆様、こんにちは。鷲見です。

ギルバートグレイプが観たくなって
アマゾンプライムを探しましたが
残念ながらありませんでした。

ディカプリオとジョニーデップが出演している映画で
二人の若き才能が溢れています。

なんだか良い映画なんですよね。

「なんだよ、ないのかよ。ちぇっ。」と思っていたところに

夏休み中の大学生から
「BTSいいよ。はまりそう。」という声が聞こえてきまして。


あーー、防弾チョッキとかいう韓国のグループか、と。

ラジオで別所哲也が「彼らは誰にも止められない!」と言っていました。
すごい記録を打ち立てているようで
そのグループ名だけは聞いていました。


正しくは「防弾少年団」




youtubeで見てみたところ
「BTSすげーいいぞ。」となりました。笑

初めて見たのが
「Dynamite」でした。


なんということでしょう、
ダンスがマイケルジャクソンだったのです。

これはオマージュじゃないのか?というレベルで
BTSのダンスがマイケルで、
もうそれでこの曲に完全にハマりました。

最近
夜はずっとこの曲がループしています。

そして踊っています。




さて
テスト直前の中3が多く、
いつになく笑
勉強しています。

ほぼ志望高校も決まったので
学習計画を作成して渡していますが

なかなか予定通りにいかない感じです。

オンラインの方では
googleclassroom やstudyplus などを利用して
学習管理を行っていますが
生徒個人の性格が出てきます。

丁寧に記録し、報告してくる生徒もいますが、
雑な記録や
報告が抜けたりしている生徒もいます。

自分の目標に到達するのならば
正直どんな方法で学習してもらってもよいですが
記録するとか
報告するということは
アドバイスする側からしてみると

丁寧に詳細に記録報告してもらうと
助言しやすい状態にあります。


日々の
数分の積み重ねが
未来の結末を自分の望むものとしていきます。


まあ
そりゃソーだっていう話ですが

当たり前のことを
完璧にやり切れるかが勝敗を分けるのです。



数学の有名な問題集で
「一対一対応」というものがあります。

昔々、
それを一所懸命に解いている生徒がいまして。


その生徒の志望大学は
東京医科歯科大学です。


秋、
そうです、
ちょうど今頃です。

志望学部は保健検査。


彼女は
大学名から怯えているのです、
「難しーーぞー!!」って。

でも、
ちゃんと見て、計算して
その科目のその問題集を解いているのか怪しかったので


予備校算出の合格偏差値と
合格者得点分布、
配点と想定からの二次試験の必要得点を計算して
二次試験の入試問題を実際に見て

現在の学力と照らし合わせて

「今、それが本当に力を注ぐことなのか?」と質問しました。



まっすぐに実体をみないとダメです。
そこから考えないと
正しい課題が見えてきません。


「難関大学だから発展問題が解けないと合格しない。」
「傾向に合わせて対策しないと得点が取れない。」


本当か!?っていうことです。

自分自身で調査したのか?
少なくとも体感したのか?


「伝聞」で受験というなかなか大きな決定をするのか?


日本のほとんどの大学は
標準的なレベルまでの問題が解ければ合格します。

正しくは
標準的なレベルまでの問題が「完璧に」解ければ合格します。


東京医科歯科大保健であれば
数値上、
応用、発展の問題が解ける必要はありません。
もちろん解けるにこしたことはありませんが
最優先事項は
標準までの問題に完全に対応できるか、ということです。


「それじゃ、一対一対応でいいじゃん。」と言われそうですが
他の科目とのバランス考えて
その問題集をやっているのか?ということです。

実際に東京医科歯科大学であっても
保健学部ならば
一対一対応が仕上がっていなくても合格ラインに行きます。




「整数の応用問題の対策をしなければいけない。」
「傾向に合わせて対策をしていかなければいけない。」

それは「上澄み」であって、
そのきれいな部分は
下層の白濁とした沈殿部分が生み出しているんです。

上清だけを生み出すことはできません。



本当に当たり前のことですが
大切なことは
下層の礎、土台なんです。


それを鍛えなければなりません。







徹底的に仕上げる。
完全に修得する。
完璧に対応できる。


普通レベルのことを
そのような状態にできれば
あとは清い上澄みをすくって

合格ラインを確実に突破させます。





普通のことを徹底する、
簡単そうで
簡単ではありません。

それで大学に合格するのですから

それが証です。





まっすぐ
実体を見て
自分で考えなければ
何も得られません。



防弾チョッキじゃないんです。
防弾少年団なのです。


ダイナナナイナナイナナ イエーーー!!




踊るかな。




報答

皆様、こんにちは。鷲見です。

暑くなってきました。
高校生は思いの外、夏休みが「存在」しておりまして。
2週間ぐらいあるみたいです。

私立だと
講習や補講という名の登校日があり
実質1週間程度のところもあるようです。

中学生とともに
振り回されつつ
落ちついて学習できている感じです。


さて、

うがい薬が盛り上がっています。
あの府知事の会見を見ていて
「おいおい笑」と思いました。




数年前に父と弟たちが
我が家の「教育」を肴にお酒を飲んでいました。

僕は
自分の家の方針など
全く興味がなく

酔っぱらって
ソファに寝ながら
(結局寝落ちして、そして誰も起こしてくれず。)
途中まで
その酔っ払いの朝まで生激論を
目を閉じ
聞いていました。

「うちの教育方針はな、『期待しない』なんだぞ。」
「あー、おれ達に対してね。」
「そうそう。」
「なんで?」
「期待したって仕方ないだろ。良くなるか?」
「頑張ろうってなるじゃん。」
「期待に対して頑張ってどうするのよ?本質は違うだろ。」
「あー、なるほどね。」
「『期待する』という技を使うことはあったけどな。」
「おれたちは、『期待されていない』ということに
多少なりとも悩んだけどな。」

弟に同意。



まあ、
その教育方針のおかげで
期待という鎖につながれず
自由を獲得できていたのは幸運であり、
それは
なかなかの”重み”で人格形成に影響を与えています。




府知事の会見を見ていて
「期待への返報」だろうなと思いました。

「役に立ちたい」
「助けになりたい」
「希望をみせたい」

人として大切な気持ちです。
誰かのためにというのは
人の行動へのエネルギーだと思います。


ただ
「期待に応える」というのは
往々にして
自由を奪い
苦しみをもたらし
着地に失敗させます。






生徒にもいろいろいます。

家族の話を
聞いているだけでも疲れてきて
「おまえ、大変だな笑」
ということもありますし、

逆に
ちょっとぐらい
「鎖」につながれているほうがいいんじゃないの?
ということもあります。笑





「期待に応える」ために
必要エネルギーが増大することがあります。

それは
予想外のエナジーを使うこともあります。

客観的な視点を失うことにもなり、
焦燥感に駆られ
適切な行動をとれないこともあります。

恐怖心に変化することもあります。



あまり良いことがないですよね。



「期待に応える」という枠にハマると
それを取っ払うのに
かなりの突き抜けが必要です。

まず
枠にハマっているという認識がなされていませんので
枠を取っ払うという考えに至りません。



そんな時に
生徒にとって
「えっ?えっ?ええ?そんなの良いの?」
みたいな話をして

つついてあげると
ショックとともに
彼らの気持ちはとても楽になります。

たぶん。




自分のために生きて
人のために生きるっていうことです。

期待に応えるために生きているわけではないのです。


期待に応えるなんて
まず
楽しくないですから。





祈願なんだな

皆様、こんにちは。鷲見です。

大学受験生に向けた
年間学習計画を
人数分作成し

先日、高校に納品してきました。


個々の状況を考えて
丁寧に。

ただ
受験生にとっては
共通テストまで
残り数カ月であり

早く
自分の指針がほしいだろうと思って

いっきに作成しました。


修正が必要かもしれませんが
都度方向を確認していけば
大きく間違うことはありません。



帰宅し

ふぃーーと一息。

和室には
広縁がありまして。

そこは大変心地よく
好きな空間ですが

あまり近寄ることはありません。

その日は
なかなか疲れており
暑さもあって

祈願のように
「あついぜぇえ」と唱えつつ

広縁のソファに座って
静かに
休んでおりました。

暑さというのは
自分にとっては
なかなかの宿敵で

振り返ってみても
大変な回数で
「暑い」と口にしてきました。

暑いと言いすぎて
ちびっ子の頃
父親に叱られたぐらいです。


和室の照明はつけず

広縁のライトをつけて
その光をあびながら

「疲れたとは言わないが
暑いとやたらと言うのはなぜだ?」

この1週間
学習計画作成のほか、

なにかといろいろあり


間違いなく体力を消耗し

エナジーの回復するものを求めていました。


疑う余地なく
疲れていましたが
「疲れたぜぇえ」とはあまり言わない。

「暑いぜ」とは
ちびっ子の頃と変わらず言うのです。


なぜだ?と。


おそらく
自分では対処に限界があると感じ

「頼むよーー。暑さから逃して。」

そういう
祈りに近いものなのでしょう。

疲れたと言わないのは
それに対する対処法が
暑さに比べ
豊富なのでしょう。

または
実は疲れていないのか。

まあ
それはありますね。笑




祈っちゃってるんですね。










世の中は
ざわざわしています。

生徒たちは
あまり変わらずに見えますが

ざわついているはずです。







オンラインでは
毎日生徒に課題を出し、
報告を受けるという
やり取りをしています。

できることを
やり続けていきたいと思います。




意識性

みなさん、こんにちは。鷲見です。


予定通りの展開に対し

対処の稚拙さに悲しみさえ感じさせる
そんな日々ですが
皆様は元気にお過ごしでしょうか。

僕は最近、
「腰が痛い」とはこういうことか、
と大人の階段を駆け上がっております。

無邪気に
河川敷で自転車に乗っていた高校生の頃とは
違うということです。


先日
受験コンサルのため、自転車で高校に向かっている途中、
自動車と何年かぶりにぶつかりまして
「おいいいい」と
瞬間的に最小のダメージへと身体を動かしたものの

足はどこかで打ち
左手は地面につき、手のひらが切れるという

悲しい結果に終わりました。


大丈夫だと思って
再び学校へ向かっている途中
左手から血がしたたり

仕方がないので
途中の薬局で
消毒薬と絆創膏を購入し

真っ赤な左手を見た店員は
「えっ!大丈夫ですか?」
「大丈夫です。何か拭くものもらえませんか?」
「あっ、ティッシュを持って行って下さい。」

とティッシュペーパーをもらって

店の前で
「ダイハード」のジョン・マクレーンをイメージしながら
荒々しく処置をし
まさに
アクション映画のワンシーンかのような。


ただし、
傍から見れば
ドラッグストアの前で
スーツの男がしゃがんで
痛い顔をしながら
プシューシュコシュコと
マキロンを傷にかけ
数枚の
絆創膏をペタペタ
手のひらに貼っているという

まあ
なんとも
情けない光景であるわけです。

でも
そんなの
どうでもいいのです。

大切なことは
本人が

「ああああ、これじゃあ、ダイハードじゃねえか。けけけ。」


小栗旬の代わりに
ハリウッドに行こうかなって

ひとり悦にいっていることが
大変重要なのです。

これこそが自由っていうことです。
よーーく
覚えておいたらいいと思います。
人の意味付けなんて関係ないのです。

自由なんですから。


現代社会は
「自由」だけでは生きていけないですが
わざわざ
呼吸浅くして
身動きのとれないところに突っ込んでいく必要はないと思います。

世の中に疑わしい前提なんて無数にあります。





その後は
無事
絆創膏だらけの手を見せびらかし
生徒と面談をし
帰宅しました。





無邪気に
河川敷で
自転車を乗っていた時に

「スミって、自転車の運転、下手だな。」

友達が言っていました。

どこを見て
そう言ってきたのか
よくわかりませんでした。

実際に
今も分かりません。

ただ、
自分の「実績」から考えると
彼の「下手」という評価は
的を射ているのだろうと思います。

自転車の運転は
相当の経験値を積んでいるはずですが
下手なのです。


ここで
「意識性」というテーマが出現します。

自転車の運転は

「補助輪はずすゼ。」
と大人への階段を駆け上がろうとした
4歳か5歳の時、

自分のバランスを意識し
自転車の運転を意識し

2日間の急激な成長を果たしたときから
数か月後には
無意識で自転車を乗ることができるようになり

特別に向上することのないまま
今に至ります。

経験により
多少の上達は見受けられますが
大きな変化はありません。


だいたい
全部そうなんです。

「意識してそのことに取り組んでいるのか」ということで
将来に
大きな違いをもたらします。


「勉強もそうだよね」ということです。

ただただ
学習時間を増やし
問題集だー!参考書だー!と学習量をあげて
猛烈に勉強したとしても

結果的に
コストパフォーマンスの悪さに
自暴自棄になったり、
自分の才能を恨んだり、

そんな悲劇に
または喜劇に至るのが通例です。

筋トレだって
意識しないとダメなのですから

脳の活動は
そりゃー意識しないと
向上しないに決まっています。

勉強は考えますが、
「考えて勉強する」ということができるかということです。

これは自然にできる人もいます。
小学生ぐらいから。

高校生になっても
「考えて勉強する」ということが
まったくできない人もいます。
僕の自転車状態です。


頑張っているんですが
「意識性」に問題があります。

伸びなんです。

自分が学習する姿勢を
どう
自分で捉えているのかっていうことが
とても重要です。



少し抽象的ですが、
生徒と接していると
わかります。



ドラッグストアの前で
自転車でコケた傷の処置をしながら
自分をジョンマクレーンと
重ねるようだと
ダメだってことです。

客観視できていません。

現実と意識にズレがあります。











でも
あの状況を
ダイハードと重ねて
「うひひ」と喜んでいる自由さは
我ながら素晴らしいと思っています。



人からの意味付けは
自分の幸福のためなら
拒絶したっていいんです。






きっと、そういうものですよ。







つれづれなるままに

皆様、こんにちは。鷲見です。

このブログは
毎回テーマがありまして
それについて、いつも書いています。

今回は
そこはかとなく書き綴りましょう。
ダラーーっと。
そんな日もあっても良いかなと。


もう20年ぐらい昔でしょうか。
セキドとそばを食べに行きました。
道すがら
歩きながら彼は言っていました。

「おれは、スミ先生で良かったよ。
放置だもん。放置プレイ。
なんでもアリだし。
器がでかいというか。
無関心というか笑
主張がぶつかったら
それだけでエネルギーを浪費する。
それは嫌だから。
だから、まあ
センセーで良かったよ。」

大学を卒業する3月に
遊びに来て
その時に。


彼の場合は
第一志望大学に合格して
商社にも就職が決まったので

ある程度
自分の希望通りのストーリーだったので
僕を評価したのでしょうけれど。



わたくしは
弟からも
「基本冷めてる」との評価をいただいています。

我がファミリーは
皆、基本冷めてます。
少なくとも熱くはない。


高校生の頃
晩御飯で
食卓にいくと

妹の髪の毛がピンクになっており

さすがに驚いた僕は
「髪の毛、ピンクじゃん。」と言葉にしました。

妹は坦々とエネルギー源を箸で口に運び、
父も母も
「おまえは一体何に驚いているのか?」と言わんばかりに
通常モードでご飯を食べていました。

当時の僕は
間違いなく高校でガーガー言われるであろう
ピンク色の髪の毛にすることが理解できず
理由もわからず


まあ、だからと言って
彼女を理解しようとも
共感しようとも思うことはありませんでした。

家族といっても
腹の底までは知り合うことはできないだろうし

「ピンクにしたい時ってあるんだろうな」

程度の理解で十分なんです。

知らないこともある。
秘密もあるだろうし、
共感や理解が100%できるわけじゃない。

それでも
知っていることもたくさんあるし
ちょっとした内緒話も教えてもらった。
気持ちがわかる時もよくある。

もうそれで
十分すぎる家族の前提条件だろうと思っています。

親密の「つもり」の関係は
お互いを
なんとなく決められた設定でカチコチにしてしまい
崩壊するときは
いっきに崩れ去り
取り返しのつかない状態になります。

だいたい、そうですよね。
「固い」のはダメなんですよ。
だいたい。

脆いので。


「ワカメちゃんのお母さんは、こんなことやってくれて。
うちのお母さんなんて、何もやってくれないよ。
自分でやりなさいって。
冷たくない!!?」

こんなセリフをよく聞きました。


冷たいかどうかはさておき
崩壊に近くなるのは
ワカメちゃんち、なのです。


勉強もそうですね。

自分の受験かのような
「学習指導」を
自分の子供に行うと
成績は本当に伸びません。

本人も親も
頑張っているんです。たしかに。

でもズレてるんです。

間違った方向に頑張っても
残念ながら成果は出ません。



結構
塾の生徒のお父さんお母さんは
「見守り」修行を耐えているそうです笑

それでいいと思います!


成績が伸びる生徒の親は
だいたい本人には何も言いません。


自分の子供であっても
100%の理解はできず、
自分が思うとおりに成長するわけでは
ありません。

自分の子供に
困る時もありますよね。

でも、それで良いじゃないですか。
そんなものです。

「どうしたものか、ねえ、お父さん。」
とか言いながら
お茶でもすすってください。

「正しく」愛情を注いで育てたら
とんでもないことにはならないはずです。


セキドのセリフには
続きがありまして

「コイワイさん、みたいな人だったら
面倒だったよ。
あの人、主張あるからさ。」

古岩井先生が
「ブログにおれを出せ」って
うるさいんで
ただいま出演いただきました。

なぜ出たいのか理解できません。

人と人は
そういうものなのです。

理解できることもあれば
まったく共感できないこともあるのです。


生きていれば
未熟ゆえに
1人では抱えきれない悩みや重荷を
明かすことによって
誰かにほんの一部負担してもらうこともあります。

古岩井先生には
僕の重荷を一部負担してもらったことがあります。

親友でも
正直友達でもないですし
遊び仲間でもありません。
もちろん家族ではありません。

ただ、
信頼できる人として
重荷の軽減を助けてもらったことがあります。


それは
僕としては例外的なことです。


若いころは
「オレ、イヤだからすみ君やって。」ということを
古岩井先生の代わりにたくさんやりましたし、
僕がお金を貸したこともありますし、
古岩井チルドレンの絵本を10冊ぐらい買ってやったこともありますし、
「すみくん、お願い!」って何回言われたかわかりません。


そうです。
きっと僕の方が
よほど色々負担してるんです笑




腹の底をさらすということは
なかなかしません。

それは
親友であっても
家族であっても。

でも
それでいいじゃないかと思うのです。

「絆」という言葉が
変な圧力を帯びている感じがするのは
強制的な共感
高いシンクロを暗に求めているからです。


どんなに「親密なつもり」でも
本当に必要な時に
重荷を共に支えられなければ

その親密さは
友であっても
家族であっても

どれほどの意味があるのかと
疑問に思います。

きっと意味はないんです。その関係に。




人は
人に対して
「変わらずに」と想うことがあります。

でも
人は成長し、変わっていきます。

その変化を
本人ではなく
周りが引き留めることは
家族であっても
親友や恋人であっても
禁忌だと思っています。

完全理解はありません。

変化したのなら
そんなこともあるのです。


「あら、ずいぶん変ったわね。ねえ、お父さん。」
「うん、そうだな。」


お茶をすすりましょう。


ずずずずずずーーーーーーー。






原点回帰、青空教室。

皆様、こんにちは。鷲見です。

やはり
感染者が多くなってきまして。
まあ、そりゃそーだよなと。

100歩譲って
『二年』でワクチンとか治療薬とか
なんとかお願いします!!

とか思いつつ

そういえばSARSの治療薬もないのだから
厳しいねえと

嘆きつつ。

この前
昔の生徒がやって来まして

「うちの会社はコロナなのに自粛ないよ。自粛希望。笑」

彼の会社は造園業で
逆に忙しくなっているとか。笑

「塾さ、外でやればいいじゃん。青空教室。笑」
「外ねぇ。」

外でできるのは
春と秋ぐらいでしょう。

青空教室までいかないにしても
塾のスタイルも変わりますね。

完全にリモート、または個別にするか

快適に安全に学習できる住空間を確保し提供するということで

でも、そんな物件
なかなかないですよね。

空調をよりよくするための空間システムであったり
それを生みだす機器とか。

根本から大きく変わらなくてはいけないと思います。



生徒に
「考えろ考えろ考えろ」って言っているのですから
自分が見本を見せないといけないわけです。






思考する葦である。




抗うことなかれ

皆様、こんにちは。鷲見です。

本当にひさしぶりに
『12モンキーズ』を観ました。

あらためて観ると
面白かったです。

キャストは合っているのかなって思いましたけど。




人は希望を持つ生き物です。

ただし
都合よく考え
希望的観測のみで行動してしまうと
後戻りできなくなり
窮地に立たされます。

小康状態にあるcovid-19については
実際のところ
治療薬があるわけでもなく
ワクチンが開発されたわけでもなく

以前となんら変わっておらず

いつ、
大きく変化するのかはわかりません。

感染症の病原体は
自然動物を宿主としているのですから
決定的な解決方法が見つからない限り
繰り返すと考えるのが普通です。

それに新しい病原体と遭遇することもあるでしょう。

我々人間にとっては
未知の細菌やウイルスなんて
ビックリするぐらい存在するのでしょう。きっと。

人間や動物よりも
多様で
歴史を持つ
「大先輩」が
そういえば地球には居たんだなと
今回の件で
再認識しました。

希望的観測もありつつ
今回のウイルスにも
人は
ある程度

対抗できるようになるのか
仲良しになるのか
仲良し風になるのか


形はわかりませんが
「まあ解決」と結論づける時が来るのだと思います。

1年後とか
2年後とか
3年後とか。


「長げぇぇなあぁあ。」と思うわけです。

それに
知らない「大先輩方」がたくさん居るということに
気づいてしまいました。


戸愚呂を倒しても
仙水がいて、

仙水を倒しても

魔界があって魔族がいて。


おいおいっていう感じで。


ひさしぶりに幽遊白書を読んでみましょう。

続々と「大先輩方」が
やって来るのです。


だから
この際
いっきに転回しちゃえばいいんじゃないかと思っています。



開かれた場所で
そしてオンラインで
リモートで

どうやってやっていくのか。
考えてやっていこうと思います。


たしかに
何かを作り上げる時には
周りの「熱」を感じながら
「密」にして
侃々諤々話し合うことも重要です。



塾みたいな
実質的な何かを学ぶことであれば
リモートでも十分な場合が多いのですが

学校などの教育では
リモートや「疎」という形では
成立しない面も多々あると思います。


医療もそうですね。
人や機材を集中させ治療しますし
現時点では
まだロボットも現実的ではありません。



そのような難問に対し
どうするのかなって

大変興味深く感じ、
アンテナをはっています。




僕も人間みたいなので
希望的観測をもち、考えます。



きっとこの先
驚くべき才能や
集合的知性によって

難問を解消するときが来るのだろうと思っています。








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真の原因

皆様、こんにちは。鷲見です。

中3は宿題に追われながらも
参考書や問題集を要求してきて
ちょっと
受験を意識しているようです。

いや、もしかして
課題のための参考書要求なのか?


定期テストで9割取れそうだったり、
6割目指していたりと
各自さまざまですが、

今年の中3は
共通して
志望高校が決まっていないのです。

おいおい。

塾のために
全員長野高校で良いんじゃないかと思っていますが。

高校に進学するのかどうか聞くと

それについては
共通して「行く!」とのこと。

感染症のおかげで
まともな高校生活じゃないかもしれないけれど
全日制に行くとのこと。

ふむふむ、
そうかと
へぇー、
そうかと。

思うところはありますけれども。


でも
満足して
行きたい高校に進学してもらえれば

塾長も満足でございます。

さて、

「腰イテェエ」と目覚め、
ゴミの日であることに気づき

排水口のごみもついでに捨ててしまおうと
台所とお風呂場を
朝から掃除しておりました。

まずはキッチンの排水口。

その臭いに
吐きそうになります。

1週間に1回の掃除では足りないのか、
吐きそうになります。



どの頻度で

掃除の労力と吐き気が最低になるのか
排水口の掃除をするたびに

「計算しよう」と思うものの
ごみ捨て後には
すっかり忘れているという。

排水口にたまった生ごみを捨てて
キッチンなんとか、という塩素系の洗剤をスプレーしておきます。

その後、
お風呂場の
排水口の掃除に挑みます。
朝から。

毛の掃除だけなので
たいして臭いはありません。

いつものように
引っかかっている毛をゴサッと
とってゴミ袋に。



ただ、
その日は
なぜか
その排水口の奥に潜む
何かが気持ちをとらえ

優雅な朝時間を短くする危険をかえりみず
排水口のカバーの下の下へ
手をつっこんでみました。

「この感触。うううううううううううう。」

ぐにょぐにょと
弾力はほぼ無いにもかかわらず
その存在は主張し
手にまとわりつきます。


「ううううううううううううううう。」

朝から。





「ここでやめるか?」
「いつものごみは取ったぜ。」
「コーヒー飲んでニュース読みたいじゃん。」
「手を入れなかったことにするか?」
「きれいに手を洗って、音楽も聴きたいじゃないか。」
「ぐにょぐにょを感じなかったことにするか?」

瞬間、葛藤しましたが
そいつを
取り除くことにしました。

「うおおおおおおお。」

その主張する無弾力のぐにょぐにょは
排水口の奥に
溜まっており、
数回に分けて
取り出し、

その見た目は、
もう、もう。

その時に
せめて
手袋をすれば良かったと気づきましたが
時すでに遅し。

がんばれ、右手。
あとで丁寧に綺麗に洗ってやろう。
だから、がんばれ。
負けるな。
がんばれ。
よくやっているぞ!
人を褒めることのない
塾長が褒めているのだ。
だから、
最後までやり切れ!


排水口のサイドにも
そいつらはどっしりとずっしりと居座り

我が右手は
若干怯んだものの
その勢いは衰えることはなく

幼い子が
欲のままに
飴玉をつかむかのように

鎮座している彼らを
根こそぎ取り除きました。

「どうだ!ふはふはふははははは!!」





そして
このとき
「キャット・グラント」の言葉が響いたのです。笑

キャット・グラントというのは
スーパーガールというアメリカのドラマに出てくる
主人公の上司です。

あるとき
主人公のカーラは
仕事中にキレます。
それに対して
キャットグラントはカーラを諭すのです。

「ストレス発散法を探すの。
はけ口は何でもいいけど
大事なのは怒りの真の原因を探ること。」

そして、
その後、カーラは何に怒っていたのかに気づくのです。
誰かという他人ではなく
本当は自分自身に怒っていたのだと。



よく目にする光景です。
本当は自分自身に問題を抱えているのですが

表面的に接した
きっかけによって
そのフラストレーションを吐き出してしまうという

まあよくあることです。



多くの場合は
その表面の問題を解決しようとしますが

本来は
その問題の出どころはどこなのか、
自分に丁寧に聞いてみる必要があります。

他人によって
吐き出されたストレスは
きっかけによって表面化したに過ぎず
自分の中の奥のほうの
その問題をクリアにすることができなければ
実は
何も変わりません。

クリアできなくても
その原因を知るっていうことが
大変重要です。

難しいので
できていない人がたくさんいますが

このことを知っておいて
「ちょっと待てよ」と落ち着ける人は
とても幸せですよね。






ということが
朝の
ヤツとの格闘中に
リンクしたのです。

表面の毛の塊を取っているだけでは
本当の詰まりは解決しないのです。
奥の方に潜んでいる
本当の大きな原因と対峙しない限り、
少なくともそれを知ろうとしない限り、

次にいけないのです。




良い朝でした。



「ぐにょぐにょ」排水口を掃除しながら
そんな教訓に気づかされるということで。



本日は
素晴らしい排水が行われます。

じゃんじゃん
送ってやりましょう。水を。






みなさんも
素晴らしい
心の排水を。









グッド デトックス。