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楽しく生きろ!

皆さん、こんにちは。鷲見です。

春ですね。
眠くなっちゃいます。

眠いです。


「腰イテェなあ」
「指の関節がイテェ」
「耳の中がイテェ」

体の痛み発生源が少しずつ増えて
経年劣化を体験しているわけですが、

卒業される皆さんは
その肉体が
最盛の時期であると推測します。


まあ、せいぜい
楽しんでください。


ケッ!!













卒業ですね。

毎年いますけど、

例にもれず
今年も医療従事者になる人、
病院に就職の人もいて

尊敬ですし
若干の心配でもあります。

あまり焦らずに、気を付けて。







皆さんが
大学や専門学校を卒業し
社会に飛び出していくにあたり

すみ少年が
衝撃を受けた
昔話を1つ
話したいと思います。




小学校5年生の頃
ある課題が
担任の大野先生から出されました。

正確なものは覚えていないのですが

1人で苦しんでいる(いじめられている)クラスメートに対してどうする?

というものでした。





討論の流れから

1人の友達はできた、ただ環境に抗うことができない。
友達になってくれたその子に価値はあるのか?



子どもなので残酷です。


そのテーマに対して意見を出し合うことになりました。


皆がいろいろな思いを言っていましたが


僕は
環境を変化させることができない限り意味はなく
苦しみは続き
今回のテーマにおいては
極論的にその友達に価値はない
と意見しました。




すると
それまでずっと静かに「討論会」を見守っていた先生が
椅子から立ち上がり
覇気をまとって
黒板に向かって歩き始めました。

「それは違うぞ。」



歩きながら、
そうつぶやき
少し憤りをにおわせ
先生は教卓で構えました。


「かつひこの考えは明らかに間違っている。
なぜかわかるか?」


「わからない。だって環境から抜け出せてないんだよ。その友達といっしょじゃ。」



「環境からは抜け出せないかもしれないし、苦しい環境から救えていないかもしれない。
でも、そのクラスメートの心はどうだ?気持ちは?考えてみたか?想像したか?

いままで一人で苦しみと闘ってきていた。
そこに友達ができた。
それはかけがえのない価値にならないか?
その子の心は大きく救われていないか?
そのことが何よりも大切じゃないか?」




なんだか怒られているような感じでしたが
熱さはとても覚えています。

そしてそのときに衝撃的に知りました。


人は
社会と対峙するだけではなくて
自分自身と
つまり自分の心と対峙しなければならないのだと。

環境に対しての自身の状態以上に
自分の心の状態の管理がとても大切なのだと。


「自分の心」を認識し



突然
別のドアを開かれたようで
本当に衝撃でした。












みなさんは
これから
社会で
いろいろなことを経験する中で
否応なく
自分自身と対峙することになると思います。

矛盾、軋轢、不合理、不条理、対立、葛藤 などなど

よくもまあ
悩める題材を
こんなに多種に用意してあるよなと思うほどに。




ただ、
大切なのは
大野先生の言うとおり。

心の在り方だと思います。



誰もが
いろいろなことを抱えており

それでも
元気で幸せな楽しい人もいれば


すべてを持ち合わせていそうなのに
苦しみにもがく人もいます。





僕は
せっかくなら
与えられた時間を
楽しく生きたいなと思っています。

そして
叶うなら
ほんのちょっと人の役にたちたいと思っています。













皆さんは

これから

どんなに
今までに埋め込まれた
価値観を高め
行動規範を精錬しても

競争のメビウスの輪から自由になることはありません。

たぶんで
おそらくなんですけど
これ
「絶対」です笑






永遠に
ハムスターみたいに走るのが好きならいいんですけど。






別の軸に価値を探しに行ってください。
行動規範の全く違う他者と交流してください。

それは大変勇気のいることであり
大変困難なコミュニケーションとなるかもしれませんが

その稀有な経験は
何よりも財産となり
もしかしたら
人生におけるかけがえのない友や先達との出会いを導いてくれるかもしれません。








まあ、

しばらくは
これまでの価値観で
ゴリゴリ
ゴリラーマンとして働いてみてください。

いろいろと知ることができます。

社会ってところは
とっても面白いのです。

きっとわかってきます。





多くの人は
1つの軸で
ものごとの
ほとんどを見ようとします。


でも、
実は
何種類もの別軸があるのだということを
頭の片隅においておくといいと思います。




何を言っているのかわからない?




それでは
ほんのちょっと役に立ってやろう。



この
塾長が
頭のわるい君たちにも
わかりやすく説明してやるゼ。







お酒でも吞みながら
楽しく
楽しく
解説してやるゼ。







































思う存分

楽しく生きろよ!!










みんな

がんばれよ!!


























卒業おめでとう!!!!



























贈り続ける

皆さま、こんにちは。鷲見です。

無事に高校入試も終わり
全員合格です。

簡単だったんでしょうか。
400点いかないかなあ、ぐらいの
演習会平均得点だった生徒が
余裕で400点越えたり


みんな
20~30点ぐらい高かったんじゃないでしょうか。



簡単だったんじゃないかと予想しています。

今のところ入試問題は解いていませんので、予想ですけれど。



まあ、
大学も高校も
みんな行きたいところに進学できて良かったです。






大学でも
高校でも
まだ不自由なことがたくさんあるところですが

工夫して
楽しく
楽しく
たのしーーく
全力で
楽しく過ごしてほしいと

思います。












先日

偶然
昔の写真をPCから見つけまして
20代前半の
スーツ姿の若いスミ君が
笑っておりまして


この頃に
指導を受けた先輩の年齢を
もう越えちゃっていると判明しました笑。


月日って
流れるものです。

驚きました。









先輩方に

「スミの塾、見に行くよ。」って言われたら
とてもとても緊張します。


塾の仕事をしている先輩は
すでにいないはずです。


ですから
指導力なんていうものは
僕のほうがあると思いますし、
授業をやって見せてという展開になっても
堂々と見せつけられると思います。



ただ
やはり大変緊張すると思います。





展開を
想像すると
緊張します。


どうしてだろうと
よく考えてみました。







仕事をする際
指導をする際に

様々なところから

学んで

自分のモノにして
技術として
使っています。


でも、
ときどきですが
当時の記憶の中の
先輩方の言動から
いまだに
新たに学んで
実行しているのです。


正直、
ここまで来ると
先輩方がすごかったのか

増えることのない記憶から
学びを絞り出す僕がすごいのかという話になり

「ああー、やっぱり、すみ君がすごいよな。」

ということになるのですが。笑



まあ冗談ですけど。





いまもなお
当時から学んでいる経験より

「先輩はすげーー」

となり
緊張するんだと思います。








仕事のことで
考えているときに

ふと

試しにこれでやってみろ、とか
あんなこと言ってたな、とか
こんな感じでやっていたな、とか


思い出して

そして
その時に気づくのです。




本当に惜しみなく教えてくれていたなと。

感謝だなあと。











親から子へ
師匠から弟子へ
先生から生徒へ

似ています。


教えてもらう側は
常に贈られている素晴らしいものを理解できない時があります。

できない時というより
ぜんぜん理解できていないのかもしれません。


そりゃそーですね、
師匠は弟子とレベルが違うのですから。



師匠もそれはわかっていますが
それでも弟子に贈り続けるんです。

贈り続けて
贈り続けて
休まずに
贈り続けて。




そして
弟子は
あるとき
気づくのです。


「やっべぇーー!!そういうことを言っていたのか!!」




こういうことが
連鎖していくんだと思うんです。


だから
贈る側は手加減無しで
自分の中にあるものを
相手の成長を信じて

贈り続けることが大切なんだと思うのです。










昔の
先輩方の言動から
いまでも
気づかされる学びがあるというのは
凄いことで

それによって
「先輩すげぇ」で

緊張してしまうという笑









ただ

もう
先輩方の
誰にも負けないと思いますけど。


















まあ、
学校の先生やっている先輩も結構いますけど。



まあ、
ビジネスマンとしてバリバリ働いていて
多角的にすみ君を見れちゃう先輩もたくさんいますけど。












まあ。


















塾長も
大人になった生徒に
たまに言われます。



「スミ先生って、すごかったんですね。」







この感想の時制が重要なのです。









ほほう、きみは成長し
学んでいるではないか、

ふわっはっはっはっはっはっはっはっは!!




























たくさん褒めてください。



















花鳥風月

皆さま、こんにちは。鷲見です。

今年度の入学試験は
大学入試も
高校入試も
ほぼ終わりです。

全員
どこかには合格しているので
みんな進学です。


バクバクお菓子を食べながら
よく最後までやり切りました。

秋ぐらいから
受験勉強中に
『おもいっきり太らせてやろう!作戦』が
塾長の中で秘かに始動し、

学校帰りの
お腹をすかせた生徒に

お菓子を
しかも高カロリーの
食欲をそそるお菓子を
与えて

その作戦は見事に成功したのではないでしょうか笑







受験が終わった今、
ダイエットを始めるそうです。

けっけっけっけっけ

ひーーヒッヒッヒッヒッヒっ






さて
月日が経つのは早いものです。

人が自然の中に存在することを
まざまざと感じさせる
そんな十年の
強烈な日々でした。


その傾向は
さらに強く続いていくことは
間違いのない未来なのでしょう。


なかなか。
なかなか。




一方で
人は
なんとなく疲れているようで
得体のしれない不安を
いつも抱えているようで


それは
今の状況が改善したとしても
おそらくは
すべてを拭いきれないものでしょう。





そういえば
「まる」が死んじゃったそうです。
猫なのにニュースになっていました。

養老先生がいつも寝ているまるを見て
言っていました。
「何の役にも立たない、
でも、まるは生きている。生きてていいんだよって言っているようでね。」



効率性、生産性、経済性
まあ世の中、
いつも
いろいろ求めるわけです。

そんな世界で生きているので
仕方のない面もあるわけですが

一方で
存在するだけでいいんだという肯定も必要だと思います。






むかし
養老先生が言っていました。

「人との関係の中だけで幸せを見ていちゃ辛いこと多いでしょ。
ほかにさ、周りにいっぱいあるじゃん、幸せに感じること。」




夏には鳥のさえずりを聞き
秋には月の美しさを愛でる
冬には風の厳しさを味わい
春には花の香りを楽しむ

世界は
人が簡単にわかってしまうほど単純ではなくて
とても複雑で
とても美しい

人間も自然の中で存在している。





ふーーん、そういうもんなんだなと感じたことを覚えております。


人間っていうのは
基本的に不安定なものなので
人との関わりに
幸せの全てが存在していると
危ういなとは思います。


かなり長い間
変化を含めての恒久性を持っているものに
幸せを感じることができれば

例えば自然とか


それは
たしかに
穏やかな時間を得ることができるのだと思います。





「仕事している机の上に石ころ置いておけよ。」
「えっ?何でですか?」
「おまえは馬鹿だな。世界ってそういうもんだろ。」


意味のないものの存在を許さなくなって
とても窮屈になっているのです。




「なんでも意味なんて付けるな。意味無いんだから。笑」



ときどき
疲れて、

かっこいい爺さんの話を聞きたくなります。







何かの映画祭での
インタビューで

若者に一言といわれ
養老先生は


「そんなもん、生きてりゃいんだよ。」





養老先生らしい。



本当にそう思いますけどね。

生きてりゃ良いんだよ。











来年度の指導時より
机の上には
漬物石を置いておくことにしました。

世界を体現する指導を目指していきたいと思います。


「せんせー、これ何ですか?」
「石だよ。」
「どうして石が机の上にあるんですか?」
「おまえは馬鹿だな。それが世界ってもんだろ。」









「座っているだけだろ」説のある塾長の指導は

すべての無意味を排除し
効率性
経済性
合理性を追求し
自然界に逆らい
「意味あるのみ」のものなので

合格を果たした暁には
多量のお礼の品々を
心よりお待ちしております。


未熟過ぎて
「意味ある」ものしか
今のところ
提供できておりませんので。

















バニラエッセンスの香りの先

皆さま、こんにちは。鷲見です。


夏草や 兵どもが 夢の跡


芭蕉がいい歌を詠んでいます。
これ、本当に良い歌だと思うんです。

何年かごとに
偶然
目の前に出現して
余韻残して
去っていく歌です。



「あーー、そういうことだったな。
人生、そういうことだったな。」

と、
毎回
“座標軸”を突き付けて
去っていく歌です。



儚いっていうことです。
美しいということです。
つまりは
サイコーじゃん!ということです。












さて、
大学入試がスタートしています。


高校入試も
私立高での入試が続いています。

長野は来週が前期選抜ですね。

中3は
総合テストのラストがあったりして
忙しそう?ではあります。
ガトーショコラを食べながら
ムシャムシャ勉強しています。

擬音語を間違いました。

ガツガツ勉強しています。






長野高校の生徒に

「早大なんて、だれでも合格するけれど
念のため古文の知識チェック用のプリント演習しておくか?」

と聞くと
少し食い気味に

「やります!」と。



考えて言っているのか?と不安になるほど

毎回
「プリントいるか?」と聞けば
「ううううやりますっ!!」と言います。




基本的に
どの高校の生徒も
頭の良さについては
たいして違いはありませんが、

長野高校に進学する中学生や
長野高校の生徒は

明らかに多くの演習をします。
多くのプリントを要求してきます。



実験から明白になっていますが
知識入力の倍の量の出力訓練量(演習)が最も効率の良い
学習法だと言われています。


このことを言わなくても
ある程度学力のある生徒は
経験的に

「演習が効率的だぞ!」と理解しているのです。

ニオイを感じています。




ですから
「プリント!プリント!」と言ってくるのです。




「プリン!プリン!プリーーーーン!」と
強硬に要求され
プリンを作ったことを思い出しました。




















知らず知らずに
最も効果的な学習法を嗅ぎ分けているという。


重要ですよね、嗅覚。










バニラエッセンスは
1,2滴で
あれほどの香りを引き立たせ

いつも
プリンを作る際は
大変感服しています。




偉大です。




弁当の味

皆さま、こんにちは。鷲見です。

共通テストでした。

全員
失敗もせず
大爆発もせず
実力相応の得点でした。



きっと
傾向で押そうとしていた人は
瓦解氷消でしょうね。



初年に「傾向対策演習」って。







大変良い教訓です。

自分の人生なのです。


情報や助言は

まずは、それを受け入れ
そして
自分の頭で考えないといけないのです。

「正しいのか?」と判断しないといけないのです。
どのように自分は「動くのか」を選択しないといけないのです。

考えるんです。
そして決めるんです。




たとえ
受験生で
スミ塾長の指導であったとしてもです。


中学生から
大学受験時まで
ずっとつきあっていると

無条件で
スミ塾長の提案を受け入れるという状態に
陥りがちですが
それは良くないという事です。笑




まあ
迷走指導は
行っていませんので、言う通りやれば
予定通りになります。

塾長は思いの外
優秀なので安心してください。

うわっはっはっはっは!









これから今年度の受験完了まで
大変楽しみです。










さて
高校受験も迫り
中学生はテスト形式の
直前演習を進めています。

時間制約を厳しくしております。

はじめは
時間配分や時間に対するストレスで
なかなか得点がとれませんが
慣れると目標得点を突破するようになり

最終的には
平均得点が
入試本番で想定される得点になります。

だいたい本試で
予定通りの得点になります。



これから
結構な回数の演習を行います。
テストセットはおそらく50種近くあります。

もちろん全部はできませんが。













先日
演習会にやってきた
中学3年生が

友達や
大学生や
そして
この塾長にも

お弁当を作ってくれてきまして
感激しました。

そして美味しかった!!


もう
とても嬉しかったです。



「美味いじゃん!」と
食べていると
塾を始めたころに

生徒のお母さんから

はじめて
お弁当の差し入れをもらった時のことを
思い出しました。



授業を終えて
その
いただいた手作り弁当を

生徒が帰って
1人になった教室で食べていました。






当時は
問題が
いろいろあって
まあ
それなりに
大変な時期で

そのお弁当の美味しさが
心に突き刺さってきたことを記憶しています。


「うめぇなあ。うめぇーーなあ。」と
人生を味わうということを体験したときでもありました。








食べながら、

ニーチェの「よし!もう一度!」の精神だよな、と。
何度も立ち向かえることができるんだと。
いったい何を怖がっているんだと。
誰からか
知らないけれども
謎に与えられた、この謎の時間を
好きに楽しもうじゃないかと。


そんなふうに思って
「うまい!!!!」とお弁当をたいらげました。







僕らは
いつの間にか
ある枠組みの中でしか
物事を考えられないようになってしまっていますが
そんなことはありません。

枠組みは
いつでも取っ払えますし
もっと自由なはずです。


何かに立ち向かい
そして
戦うことに決めているとして

もう一度
よく考えるべきです。
よく、よーく考えるべきです。

もっともっと自由なはずです。

その戦いは
何度も挑めるであろうし
何度も立ち向かっていけます。

そして戦い方は様々なはずです。
戦わないという選択肢すら存在しています。


恐れているものが
本当に恐れるべきものなのか
まっすぐに見つめてみるべきです。



虚構だって
きっと気づくはずです。








いろいろな人の話を聞いて
自分で考えて
よーーく考えて
選択して
そして
挑むのであるならば

周囲の人はきっと心から応援してくれます。

負けることや
失敗することが
何も怖くないことだとわかったのなら

ワクワクしながら
立ち向かっていけるじゃないですか。
人生を味わえるじゃないですか。




跳ね返されたって

その時は
持ってきた弁当食べて
「うめぇーーなあ」って弁当食べて
涙しながら弁当食べて





昼寝して



また
ワクワクしながら
強敵に立ち向かっていけばいいんです。










たぶん
僕らは
そうやって

味わって
楽しむ「こと」を
与えられているのです。













もっと見渡して
もっと見通して
考えて
考えて
踏み出す。



その価値は
本当に手に入れなければならないものなのか、
よーーく考えて。








踏み出しましょう、
どんどん
進みましょう。





お腹いっぱい
食べましょう。




ボールは友達

皆さま、こんにちは。鷲見です。

トヨタのハリアーのCMを見ると
自分でわかるほど
心が高揚します。

でもその理由は
よくわからず

あのCMは結構光っているので
光沢感バイアスかな?と思ったこともありますが
このすみ塾長が
そんな一般人に影響を与えるような
心理作用に揺さぶられるはずがないということで
それは却下。

見ていると懐かしさも覚えて
なぜ気分上々になるか
よくわかりません。

もちろん
ハリアーに興味があるっていうことでもありません。
自動車には
まったく興味がありません。


数年前の日本たばこ産業の
外国人がお茶や折り鶴を体験するCMを見ても
似たような気分になります。


でも
どうして良い気分になるのか
自分でも本当によくわかりません。

現象発出の理解はできる、
ただその原因や回路を把握しきれないのです。

自分自身に起きていることなのに。



まあ、
人間なんて、
そんなものです。













さて、
共通テストも近くなりました。

共通テスト利用入試や
個別試験をどうするか、
どういう想定をしておくべきか、
いろいろあります。

我が塾の大学受験生は
まあはっきり言って「完璧」なので笑、大丈夫ですが、

僕が受験指導に「甘噛み」している
予備校や高校の生徒たちは
「どうなのかなあぁ」と
期待と心配が
複雑に絡み合っています。


オンライン指導を含め
接触時間や回数の影響の大きさを痛感した年度でもあります。

考えるべき課題もあります。


逆に
距離のある状態になると
明確になることもあります。

接触したときに
その生徒の持っている認知バイアスのすごさが分かります。

その矯正を繰り返し行ってきたわけですが
さあ、どうなるのでしょうか。


自分自身に対しても
客観性を持つことが大変重要です。

自分のことなんて
だいたいよくわからないのです。

数字をヒントに
数字をよく見て
それをもとに受験を検討しましょう。


数字は友達、こわくないよ。



キャプテンすみ君。








受験シーズンという
慌ただしい日常が
散文的な生活に戻るのはいつになるのか。


受験シーズンが終わっても
憧れの穏やかな日は
舞い戻ってきそうにないが、


どうする、
キャプテンすみ君。









忙殺は友達、こわくないよ。









対象&認識

皆様、こんにちは。鷲見です。

ゴミ出しをしようと
寒さが身に染みる
雪が舞い散る早朝

「さみぃさみぃ」と足早に家に戻ろうとしているとき
小学生の登校の列が
静かにやってきました。

先頭は
高学年の小学生。

低学年が数名続き

最後の一人は
ガキ大将の風格を漂わせた
少年でした。


その少年は
雪が舞っているというのに
短パンという。

上はジャンパーでしたが
なぜか
下は短パン。


「子どもは風の子と言うが、雪降ってるぜ、少年。」
と心の中で思いながら

彼の体感温度を疑い、
知覚がおかしいのではないかと
自分基準で少年を見ておりました。



「いや、まてよ。
この少年はカントの思想を体現しているのか!」

なんということでしょう。
こんな鼻水を垂らしていそうな少年が

鼻水を袖で拭いて、
その袖が1時間目が終わったころには
乾いた鼻水のせいでカピカピになっていそうな少年が

カントの超越論的主観性を主張しているというのでしょうか。

人を見た目で判断してはいけません。
反省。




さて、
年が明けました。
おめでとうございます。

僕は
スポーツ用品店のアルバイトを始めたころ

「すみ君、2000年問題でPCにトラブルがあるかもしれないから
念のため年末年始出勤してくれない?」
と店長に言われ、
まったくパソコンに詳しくないにも関わらず
若くてちょっと頭良さそう雰囲気出てるからという理由で
大晦日、そして元日を9時からの通常労働を行い

それ以来
仕事は変わったものの
ずっと
年末年始はダラダラと仕事をしています。

最初の頃は
普通の感覚で
「年末年始ぐらいゆるゆると過ごしたいな」と思っていたものの

いつのころからか

「12月が1月に変わるだけだよな」という認識に変わり
特別感は希薄になり

さらに受験の仕事をするようになって
完全に年末年始も
いつもと変わらない「日常」になってしまいました。


年末年始という対象は
存在していますが
結局は
それの認識が存在を確立するわけです。









新たなプロジェクトや
仕組みを考えなければいけないことが
同時並行で進み始めており

もちろん
今の仕事もいくつかあるので

考えなければいけないことが
あふれており
脳にあることを
手帳に吐き出して
検討していますが

常に意識していることは
「これを人はどう思うのか?」

ということです。

結局
カントの言う通り
対象ではなく
認識の支配が強い人の世なので

このプロジェクト方針は委員会で受け入れてもらえるのか、
この仕組みは教室に組み込む了承が得られるのか、

塾であれば
この内容は授業料として適正と思われているのか、
この提案の受験校を生徒はどう思うだろうか、


すべて人の「認識」に関して気をつかいます。


たとえば
東京大学は間違いなく存在していて
その対象は
もちろん1つだけです。

ただ
それに対する認識は
人それぞれで

その認識が
東京大学の存在を無数にしています。



「もの」でさえ
それをとらえることは不可能であるならば
「人」を理解することなど
まあ
不可能でしょうが、

でき得る限り
考えて
想像して

その認識からズレないように
捉えられるようにと

唸りながら思案して
シャワーを浴びながら吠えるのです。








雪が綺麗に舞う朝に
短パンで登校する少年は
塾長に言っているのです。


「問題なのは対象じゃないんだよ、認識なわけ。」


あらゆるテーマに通じる気がします。









精進します。













皆様、本年もよろしくお願いいたします。


姿勢なのだよ、若人よ。

皆様、こんにちは。鷲見です。

「実は料理上手いんじゃないか」疑惑が
生徒より昔から持ち上がっておりましたが、
上手かもしれませんね。



超高速で料理し、食し
「うむ、うまい!」と感嘆することを
以前よりも繰り返すようになりました。



ただ、
材料費や時間というコストを考えると
外食した方が良いような気がしています。

自分で作った方が美味しいんですけどね。





さて、
共通テストまで残り1か月半ですね。

いやいや、たのしみーーー笑


みんなどんな顔して受験するのでしょうか。

共通テストは
極論、
「教科書理解してるの?」ってことです。

大学入試センターが
そんな試験を作りたいのは明白で
試行問題をやれば
すぐにわかります。

もう数学はその点が明らかで、



得点とることに苦労している人が
たくさんいますが

「定義知ってるか?」とか
「定理証明できるか?」とか、

そういう教科書に記載されている
「基礎」が大切なんだとわかります。

それをわかっていながら
解法暗記でおし進めた人は
ウエウエーーと苦しむだけです。


「わかっている」ので「実行する」

人間の不思議なところで
こうやって上手に流れないのです。


自分の塾の生徒、

オンライン指導の全国の生徒や
予備校や高校での
受験指導中の生徒も

皆そうですが

なかなか学習計画通りに進みません。


まあ
そんなことは

余裕で


想定内ですが、



問題なのは
学習が遅れているということではなくて
学習する姿勢に問題があるのです。

その姿勢については
個々に差があります。


学習する姿勢が悪いと
当然遅れが生じ
学力がさみしいことになります。




自分を高みにもっていくためには
知識や環境もあるでしょうが
何よりも
学習に向かう姿勢なのだと思います。



学習姿勢については
定期的に話をすれば一発で分かりますし

オンラインや
メッセージのやり取りでも
わかります。


高校受験や
大学受験のために
彼らは
「勉強をする」ということを選択して
自らやっているわけですが

それなりに
本人たちにとっては
困難があり

それに向き合う必要があります。



指導していると

なんだか
向き合えていないなと感じるときもあります。


逆に
必死に対峙し、乗り越えようとしていると感じることもあります。



いずれにせよ
人間臭がして
「なんだか良いね」と思ってしまいます。




自分の人生を
かわりに歩んでくれる人は
いないので


まあ
おおいに悩もうではないか、

若人よ。








まあ
とりあえず
おおいに勉強しようではないか

受験生よ。





それについては検討します

皆様、こんにちは。鷲見です。

白菜の浅漬けを食べながら紅茶を飲んでいます。
合うなあ。


共通テストが近づいてきましたね。
”初回”なんで、傾向もなければ
対策もないです。

試行テストから考えられることを行い
本来の学習をするだけです。

こういう時こそ
言われるがままではなくて
それが納得できる解なのか
根拠として自分の中に入ってくるのか、

その判断が大切です。
考えるってことです。

学習指導しているときに
「やれ、ロボットのようにやれ。」
なんて言うこともあります。笑
反論許さず、です。

ただ、
それは
自分で完全に証明できていること、
または、
多くの学習指導によって帰納法的に証明されていること

そんな時です。



自分が納得できないこと、
証明できていないことを、

「やれ」なんて言うことはできません。
変なところからの力がかかっていない限り。


共通テストなんて
まさに何も証明されていません。

大学入試センターの出題方針を見て
試行調査から考えられることを行って、

本当に手探りで大変です。


時期的に
大学受験生は
すべきこと
できることを一所懸命に進めています。




共通テストは
とてもフラットな気がして
「どうなるんだろう??」ってみんな思っていて
そんな中で受験ができて

なんかうらやましいなぁと感じてしまいます。



数字は正確に見る必要があります。
でも数字に踊らされちゃダメです。

なぜ
そんなに数字に踊っているのか不思議です。
状況を正しく見れば
踊る必要はないと知るはずです。

ダンスサークルに入って
思う存分踊ってから
数字を見れば落ち着くのでしょうか。



自分の納得したことを徹底してやればいいのです。


僕の生徒は
「わがまま」になるらしいのですが

でもそれは
自分の人生であることを理解し
そして考えている証拠じゃないかと思います。
だからこそ
納得できないものはできない、
譲れないものは譲れないんじゃないかと。

みんな
とても素直だと思います。





まあ

譲れないものを ぶっ壊せ!!

というときも
あるんですよねえ。

そういうことも
必要なんですよねえ。

その瞬間はとても大変ですが。









今度
サイエンティストになって
好きなことをやってる昔の生徒と
ご飯を食べてきます。




ダンスダンスダンス。








必要タスク

皆様、こんにちは。鷲見です。

生徒のお家から
リンゴをいただくことがあります。

最近、
シナノゴールドという品種のリンゴを食べました。

美味い!

一瞬で食べてしまう。
まごうことなき一瞬で。

さて、
過去問演習も本格的になってきています。

「誰でも合格するといわれている早稲田には進学できそうか?」
「せんせーーー笑」
「ん?違うの?」
「誰でもは合格しません。」
「ふーーん、そうなのね。それで行けそうか?」
「数学ができなくて、やばい。」
「何ができない?」
「もうぜんぜんできない。ひどくて。」


こういう会話をしているうちは
合格の可能性は圧倒的に低いのです。

自分の合格可能性すら探っていないのです。


もう入試までの時間が限られているということは
未来がぼんやりとしか見えない高校生にも
さすがに
有限さが認識できる時期です。

時間が有限なのですから
「目標達成に必要なことをする」ということです。
もう少し正しく言えば
「目標達成に強く影響することに優先的に取り組む」
ということです。

逆に言えば
目標達成にあまり影響力をもたないことには
取り組まないということ、
取り組んではいけないということです。


自分の目標達成という結果を出すために
何が課題なのかはっきりさせ
それを鍛えます。

「ぜんぜんできなくて、ひどい。」
という言葉は
その課題の具体的な面を認識していません。

それでは
合格の可能性を大きく高めることはできません。


数学の学習段階も
いろいろあるので
状況に合わせての
学習指導は必要ですが、
とりあえず
一定の学習が完了しているとして

たとえば
早稲田大学商学部に対し
どのように合格可能性を高めるか考えます。



早稲田は得点を標準化しますので
そのまま素点では計算しません。

各科目の配点と平均点を考慮し
得点を算出します。

例えば
計算した結果
22点(60点満点で37%)を目指すとします。
平均点が低いので
年によっては40%を切る得点率でも
標準化計算後
40点以上(67%以上)にアップすることもあります。


標準化による点数変動を計算して想定します。


また
大学の国公立二次試験や私立個別試験は
出題範囲にかなりの偏りがある場合が多く

過去問を確認すると
具体的にどの範囲が出題されやすいか分かります。


入試までの時間が無い場合は
頻出分野に集中的に時間を注ぐ戦略もあります。


それでは
22点を獲得するために
どのように得点を獲得するかということを考え
22点までの不足分を
どこで、どのようにして獲得するか、
そのために
どの程度の学習を必要とするのかを
具体的に考えて実行します。

「ベクトルがあまり得意じゃないから」
ということで
ベクトルの強化!というのは

早稲田商学部の傾向を考えると
影響力「強」の優先性からはずれます。

ベクトルは出題されますが
もっと頻出分野は他にあります。

つまり、このベクトル強化作戦は
「投資」に対する最大効果の期待は薄いということで
採用しません。


もちろん
時間があれば
全部やります。

どこを出題されても
対応できるように
準備します。

それが普通です。




でも
「やばい。ひどい。どうしよう。」
なんていう状態の受験生が
直前期に
網羅しようというのが無理なのです。



合格の可能性を高めるために
課題を具体的にし
目標を設定し
必要なタスクを実行するということです。



イシューからはじめて
最大効果を出すために
必要なことを実行するということです。











面倒ですねぇ。笑


勉強不足だから
こうやって
最大効率とか
必要タスクとか
ギリギリの戦略を立てて
戦うことになるので




時間のあるみなさんは、
モリモリ勉強してください。

モリモリ王になってください。

モリ王です。



モナ王食べながら
勉強してください。