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それについては検討します

皆様、こんにちは。鷲見です。

白菜の浅漬けを食べながら紅茶を飲んでいます。
合うなあ。


共通テストが近づいてきましたね。
”初回”なんで、傾向もなければ
対策もないです。

試行テストから考えられることを行い
本来の学習をするだけです。

こういう時こそ
言われるがままではなくて
それが納得できる解なのか
根拠として自分の中に入ってくるのか、

その判断が大切です。
考えるってことです。

学習指導しているときに
「やれ、ロボットのようにやれ。」
なんて言うこともあります。笑
反論許さず、です。

ただ、
それは
自分で完全に証明できていること、
または、
多くの学習指導によって帰納法的に証明されていること

そんな時です。



自分が納得できないこと、
証明できていないことを、

「やれ」なんて言うことはできません。
変なところからの力がかかっていない限り。


共通テストなんて
まさに何も証明されていません。

大学入試センターの出題方針を見て
試行調査から考えられることを行って、

本当に手探りで大変です。


時期的に
大学受験生は
すべきこと
できることを一所懸命に進めています。




共通テストは
とてもフラットな気がして
「どうなるんだろう??」ってみんな思っていて
そんな中で受験ができて

なんかうらやましいなぁと感じてしまいます。



数字は正確に見る必要があります。
でも数字に踊らされちゃダメです。

なぜ
そんなに数字に踊っているのか不思議です。
状況を正しく見れば
踊る必要はないと知るはずです。

ダンスサークルに入って
思う存分踊ってから
数字を見れば落ち着くのでしょうか。



自分の納得したことを徹底してやればいいのです。


僕の生徒は
「わがまま」になるらしいのですが

でもそれは
自分の人生であることを理解し
そして考えている証拠じゃないかと思います。
だからこそ
納得できないものはできない、
譲れないものは譲れないんじゃないかと。

みんな
とても素直だと思います。





まあ

譲れないものを ぶっ壊せ!!

というときも
あるんですよねえ。

そういうことも
必要なんですよねえ。

その瞬間はとても大変ですが。









今度
サイエンティストになって
好きなことをやってる昔の生徒と
ご飯を食べてきます。




ダンスダンスダンス。








必要タスク

皆様、こんにちは。鷲見です。

生徒のお家から
リンゴをいただくことがあります。

最近、
シナノゴールドという品種のリンゴを食べました。

美味い!

一瞬で食べてしまう。
まごうことなき一瞬で。

さて、
過去問演習も本格的になってきています。

「誰でも合格するといわれている早稲田には進学できそうか?」
「せんせーーー笑」
「ん?違うの?」
「誰でもは合格しません。」
「ふーーん、そうなのね。それで行けそうか?」
「数学ができなくて、やばい。」
「何ができない?」
「もうぜんぜんできない。ひどくて。」


こういう会話をしているうちは
合格の可能性は圧倒的に低いのです。

自分の合格可能性すら探っていないのです。


もう入試までの時間が限られているということは
未来がぼんやりとしか見えない高校生にも
さすがに
有限さが認識できる時期です。

時間が有限なのですから
「目標達成に必要なことをする」ということです。
もう少し正しく言えば
「目標達成に強く影響することに優先的に取り組む」
ということです。

逆に言えば
目標達成にあまり影響力をもたないことには
取り組まないということ、
取り組んではいけないということです。


自分の目標達成という結果を出すために
何が課題なのかはっきりさせ
それを鍛えます。

「ぜんぜんできなくて、ひどい。」
という言葉は
その課題の具体的な面を認識していません。

それでは
合格の可能性を大きく高めることはできません。


数学の学習段階も
いろいろあるので
状況に合わせての
学習指導は必要ですが、
とりあえず
一定の学習が完了しているとして

たとえば
早稲田大学商学部に対し
どのように合格可能性を高めるか考えます。



早稲田は得点を標準化しますので
そのまま素点では計算しません。

各科目の配点と平均点を考慮し
得点を算出します。

例えば
計算した結果
22点(60点満点で37%)を目指すとします。
平均点が低いので
年によっては40%を切る得点率でも
標準化計算後
40点以上(67%以上)にアップすることもあります。


標準化による点数変動を計算して想定します。


また
大学の国公立二次試験や私立個別試験は
出題範囲にかなりの偏りがある場合が多く

過去問を確認すると
具体的にどの範囲が出題されやすいか分かります。


入試までの時間が無い場合は
頻出分野に集中的に時間を注ぐ戦略もあります。


それでは
22点を獲得するために
どのように得点を獲得するかということを考え
22点までの不足分を
どこで、どのようにして獲得するか、
そのために
どの程度の学習を必要とするのかを
具体的に考えて実行します。

「ベクトルがあまり得意じゃないから」
ということで
ベクトルの強化!というのは

早稲田商学部の傾向を考えると
影響力「強」の優先性からはずれます。

ベクトルは出題されますが
もっと頻出分野は他にあります。

つまり、このベクトル強化作戦は
「投資」に対する最大効果の期待は薄いということで
採用しません。


もちろん
時間があれば
全部やります。

どこを出題されても
対応できるように
準備します。

それが普通です。




でも
「やばい。ひどい。どうしよう。」
なんていう状態の受験生が
直前期に
網羅しようというのが無理なのです。



合格の可能性を高めるために
課題を具体的にし
目標を設定し
必要なタスクを実行するということです。



イシューからはじめて
最大効果を出すために
必要なことを実行するということです。











面倒ですねぇ。笑


勉強不足だから
こうやって
最大効率とか
必要タスクとか
ギリギリの戦略を立てて
戦うことになるので




時間のあるみなさんは、
モリモリ勉強してください。

モリモリ王になってください。

モリ王です。



モナ王食べながら
勉強してください。


本質の錯覚

皆様、こんにちは。鷲見です。

鬼滅の刃が大変な人気で
高校生も見ているとのこと。
みんな観に行っています。

でも、大学受験生は

「受験生なので、我慢してます!!」

いやいや、何のために?
って思って

「2時間ぐらい、たいして問題ないだろ、観に行けよ。」
「いえ、受験勉強あるんで。」


『我慢して勉強している自分』で悦に入って
気持ち良くなっているならばイイですけれど
そうじゃないならば
観に行って
リフレッシュしてきたほうが効果的じゃないかと
思うんですけど。

全集中できると思うんですけど。

爆血できると思うんですけど。





さて、
「東大の特徴に合わせた対策」
「慶應の特殊な問題に対応させる」

時期的に
よく耳にしています。

中には
「明治大の入試に合わせないとダメだ」とか。
「千葉大の特殊性を研究をする」とか。

明治大の傾向ってなんだ?っていう話です。
千葉大の特殊性ってなんだ?っていう話です。

そんなものないだろっていう話です。



過去問演習が学習の中心である時期なのですが
その大学の
特殊な形式に合わせないと
大学合格はない、かのような錯覚のもと学習している
受験生も多くいます。

植え付けられた誤認、
そして利用されている無知性。













「あの人の本質を見ちゃったよ。」
なんていうことがよく言われたりします。



いつもとても優しいスミせんせー、
でもある日のカマドウマの処理が
徹底されて残虐で
あれでスミせんせーの本質を見たよ。


こんなエピソードがあったとして
すみ君の本質に残虐性があるというのは
本当か?ということです。

98%優しくて、2%の特殊な条件下での
残虐さを「本質」としていいのか?
ということです。

全体に対し
2%なので、
それが顕在化すると
かなり強烈に印象化します。

そして
人は
それを大変意識するようになります。

2%の特殊性を本質と見なしてしまうわけです。






まあ
僕はカマドウマは嫌いなので
もし現れたら
悪魔の凄まじき形相にて処理します。





現れたものが
本当に本質であるのか、
それとも印象的な一部の要素なのか
的確に見極める必要があります。




受験でも同じです。

一部の難解な箇所を抽出して
それをフォーカスすることで

優先的にすべきことや

必要な学習や
目標レベルを見失わせます。



本質を見失っています。










求めるものは

どこの大学でも
だいたい共通しています。
基礎力
表現力
分析力
論理力
思考力

こんな感じです。

入試における数パーセントの難解な問題に対応できる
能力を求めているわけではありません。

傾向に合わせる能力でもなく、
特別に高い能力を見るわけでもなく。





まずは
求められている
普通の力を獲得していくことが大切で

その上で
大学の傾向の特徴を知り
訓練していくと
「よくやり遂げたな」と大学に言われ、入学を許可されます。



順番を間違うと
勉強時間だけが増えて
合格にたどり着けず

予備校に通っているのならば
お金が儚く消えていきます。







楽をしてはいけません。
すべての他者からの情報を鵜呑みにしてはいけません。
自分で確認するのです。

生殺与奪の権を他人に握らせてはいけないのです。









映画でも観に行きましょう。
そのあと
全集中しましょう。













勉強っぽいだけ

みなさん、こんにちは。鷲見です。

ある日の高校生との会話。

「教科書が一番わかりやすいのに
その説明をどうして授業でするのかなって。読めばわかるのに。」
「笑。多くの人は教科書が理解できないからな。」
「そうなんですか?でも教科書が理解できない受験生が
年末まで解説授業を受けて、いつ受験勉強するんですか?」
「まあ、並行とか、大急ぎでとか。」
「でも、スミせんせー言うじゃないですか、
入力より出力の必要量の方が多いって。一般的に。」
「普通人は間違いなくな。」
「12月に教科書を終えて、
それって合格するには無理ないですか?」

彼は嫌味を言っているわけではなく
おそらく本当に不思議だったんだと思います。
そんな感じでした。

教科書の理解がおぼつかない人が
理解に12月までかかって
そこから知識定着、演習の時間をどうやって作り出すのか、
疑問だったんだと思います。

まあ、たしかにその通りです。

その彼はたしかに理解が早く
吸収力も高いので
教科書を読んで理解できます。
実際に成績もとても良い。


ただ
そうじゃない場合が
ほとんどで

そうなると
12月まで授業されると
普通脳の受験勉強は厳しくなります。


そうなんですよねぇ。
大変ですが
時期をみて
時間を考えながら
自ら進めるしかないんです。




中学生や
考えることをさぼっている高校生の中には
5時間机に向かって
カリカリと
何か勉強らしきことはやっているけれども

実質の学習時間は30分程度
なんてことはよくある話です。


親からすれば
「勉強はやっているみたいなんですけど。成績が、、、」

となります。


ふつう
勉強をすれば成績は伸びます。
成績や結果が良くないのは
端的に勉強をしていないからです。

「学習方法が悪いのかも?」
という話も
よく聞きます。

ただ
学習方法が悪くても
「勉強をしていれば」
成績は伸びます。

成績が伸びないのは
本当にシンプルに
その行いが
勉強ではないのです。



学力を上げるためには

1、知識を入力する、事象を理解する。
2、知識を定着させる(覚える)。
3、知識を自由に出力できるようにする。
4、思考訓練。

こんな感じです。


よくわかっていない中学生は
ずっと
「2」ばかりをやっています。

理解できていない物事を
ひたすら覚えようとしている、

そして
テストや模試で
「ぜんぜんできねーー」と嘆く。

そりゃソーだろ、という話です。


まず
メモリには限界があるので
無意味なことなんて
たいした量は覚えられません。
それに苦痛です。

たとえ苦痛を乗り越えて
覚えたとしても
丸暗記なので
同じ問題しか解けず

応用もききません。


最初に事象を理解することが
大切です。
その上で必要な知識を入力定着させていかないと
使い物になりません。


1~2がインプット学習段階で
2~4がアウトプット学習段階です。

2はインプットであり
アウトプットでもあります。

学習量において
アウトプットの占める割合が
6,7割が最も効率的な学習と言われています。


注意しないと
2の「覚える」ということばかりやってしまう
生徒もいます。

「覚える」ことだけやっていても
使える知識にならず
得点につながりません。




教科書を理解するということは
1の学習段階です。

ただし
それ以降の学習量や学習時間の方が
圧倒的に多く
必要とします。

教科書の理解が
冬が始まる頃にやっと終わるとなると
理論的には
厳しい受験となります。



志望によって出力期間が変わります。

出力訓練の期間を考えて
知識の入力を終えておくことが重要です。

計画している期限までに
学校の授業が終わらないようであれば

入力学習段階を終えるための
作戦が必要です。




何とかして
自分で進めるってことです。




負担は大きくなりますが
技はいくつかあるので
なんとかなります。










マルチタスクなんてできない

みなさん、こんにちは。鷲見です。

最近、ごみ箱の長ネギの臭い処理に苦戦しています。
臭いを完全になくしたいのですが
なかなかできず。

”生ごみ処理装置”みたいなものが家にはあるのですが、
数年間、電源を入れず
”長期休暇”に入ってもらっており
いきなり「働け」というのもチョットな、

ということで
結局長ネギの欠片たちは
ごみ箱の中で静かにごみの日を待たせています。


さて、受験勉強も後半戦に突入し
「過去問演習」という山場をむかえております。

一方で
中学生はキャッキャ と飛び跳ねております。

まあ、高校受験なんで笑。



いやいや
高校受験も甘く見てはいけません。

自分が塾長だということを忘れていました。
厳格に指導していきたいと思います。

総合テストの中学が多いので、
それが終わったら、毎週模試プリントを演習予定です。

昨年までは
「特別演習会」「サタデーセミナー」
「土曜演習会」「サタデーナイトフィーバー」とかテキトーな名前を付けて
やっていた演習会です。

特別感を出すと
中学生は盛り上がってやるので
「特別なんだぜ!」感を出して、
申し込んでもらって金儲けをしています。

うっしっしっしっし。
ケっけっけっけっけ。



まじめな話ですが
勘違いしている人が多数なので
いつも言っていますが

学習のメインは「演習」「出力」「検索」だということです。

「入力」中心の学習では
学習者の能力が激しく高くない限り
得点が目にみえて伸びるということはありません。

そういう脳の性質なので仕方ないですね。


この学習方法に関しては
データを根拠に発表されていることです。



ということで、
ある程度の知識入力段階が終了したら
少しぐらい定着していなくても問題ありません。
「出力」訓練によって
得点力の向上を図ります。
当然、知識定着も図れます。

オンライン教室の場合は
答案を見て採点を行いたいので

お手数ですが郵送、
または画像で送信してもらうことになると思います。


この模試プリント演習は
けっこう
効果はあります。




勘違いと言えば
もう一つあります。

「バランス」です。


この世に
「バランスがとれている」ものなんて存在しません。

「バランスがとれている」ように見えるものは
「バランスを”必死にとろう”としている」だけであって

バランスがとれている状態を自然と
保ち続けられているわけではありません。

同時並行は不可能です。

すべては、
同時に行えているように見えているだけです。

脳にもいろいろな装置があり、
マルチに働きそうですが

原則、1つのことしかできません。

「音楽を聴きながら、料理して、
お酒飲みながら、ドイツ語の勉強しているよ。」


そんなことできません。
スーーパー高速で聴覚、触覚、味覚、視覚を
脳が処理しているだけです。
同時に行っているように見えるだけです。


超光速なので。


PCも同じですね

同時にいくつものタスクを
進めているように動いていますが

基本的には
超光速に
あっちの処理、
こっちの処理、
向こうの処理、

と1つ1つを処理しているだけです。


だから
マルチタスクというのはできません。

しかも注意が散漫になるので
効率的ではありません。




これは
日々の学習という
ある程度長い時間でも言えることです。


科目というのは
5教科だったり
9科目だったり
複数あります。

入試科目も
多数あり
その対策を必要とします。


生徒によっては
毎日
「英語やって、数学やって、
国語やって、理科やって、社会やって、、、家庭科やって。」

ときには
「英単語、英文法、英熟語、英文解釈、英文読解、リスニング」

と同じ科目で
いくつもの種類の訓練を行ったります。

結局
分単位で
学習の種類が変化します。


まあ、
いろいろなことを訓練しなければいけない時も
あります。

ただ、
それを毎日続ける学習スタイルの人もいます。
それは
バランスがとれているのではなく
バランスを”とろうとしている”だけであり
学力を向上させるという目標には遠回りです。


的をしぼって
集中して取り組むことが
大きな飛躍の秘訣です。


バランスを欠くことを恐れてはいけません。

高校受験は
「あれもこれも学習」で余裕で合格するので
特にうるさく言うことはしませんが

大学受験は
さすがに学習量が多くて
的をしぼって集中して取り組んでもらわないと
話にならないことが多くあります。

「英単語だけ。英単語暗記以外の勉強禁止。」
なんていう学習指導は日常的にします。


学習内容が散らかっていると
本当に学力が上がりません。

やるべきことをしぼって
そこにエネルギーを集中することが
とても大切です。


すべてのことが等しく重要であるというのは幻で
もしそう考えているのなら
思考が停止しています。

考えなければなりません。

本当に
いますべき
一番大切なことは何なのか。




「英語なのか?」
「数学なのか?」




「ん?受験なのか?勉強なのか?」

「あれ?大学必要??」









おっっと、やばいぞ笑笑




でも、
それって
考えるべき大切な疑問だと思います。






受験勉強が始まる前に
考えておくこと。



受験勉強中に
「勉強の意味」や
「進学の価値」を考えるなんて
とんでもないマルチタスク。





バランス欠き過ぎです。







バランスボールを始めてください。


リーダーになりたいかー!

みなさん、こんにちは。鷲見です。

自宅にある膨大な受験参考書・問題集を
全部ぜーーんぶ、読んで解きたいという衝動にかられ
読み始め
そして
「あっ、やっぱり普通の本読もうっと。」と

同じことを
いったい
何度繰り返せば
受験参考書は読むことはないと悟るのでしょうか。


生徒には
原則、教材は買って与えているため
僕が持っている参考書は
眺めるためだけにあるようなものです。


眼光紙背に徹することできず!



さて、
半沢直樹が話題なので
はじめて見ました。

面白かったです。
今回のは、
いくつ目のシーズンなのでしょうか。
昔のものも見てみたいですね。

勧善懲悪がヒットしている原因なのでしょうか。



最終回で
半沢が頭取をやれって言われていましたけれど
頭取でも「だだだだーーーー!」って叫んで
職務遂行するのでしょうか。


組織論で
ピーターの法則っていうのがあります。

簡単に言えば
組織は
自動的に無能な者で
埋め尽くされるっていう法則です。


1、組織の構成員は各自のレベルに応じて
昇格により、いずれ能力では対応できないポストに就く。
2、組織のあらゆるところで職責を果たせない人間が占めることになる。
3、仕事は、まだ”無能レベル”に達していない人材が献身的に回している。


「使えない上司」っていうのは
ピーターの法則で見るとわかりやすいですね。

「使えない上司」も
昇進しているので
過去優秀だったのでしょうが

上のポジションにつくと
その職責を果たせないレベルであり

または
要求されているスキルを持ち合わせていなかったりと

とにかく
そのポジションでは使えない人材になってしまいます。


あらゆるところで起きると
多くの人たちは
昇進により
限界レベルを超えたポジションに就き
使えない人材となっていきます。

レベル的に余力のある人達だけで
組織を回していくことになります。




半沢直樹のように
限界よろしくの上司の実態が露になると
情けないことが噴き出すわけです。


あのドラマは
誇張されていますが
どの組織も
程度の差こそあれ
似たようなものです。

とにかく
組織に属していると
「慣れ」ます。


非合理であっても
問題だと感じていても

いつしか
そこに蓋をし
自分を納得させ
問題であることを忘れ去ってしまう、

お客さんよりも
会社の都合が優先されるという
不都合な真実が
不文律として明らかに存在しているのです。


まあ、
程度の差こそあれ
どこにでもあります。


うちの塾にもあります。

「あります」というか
我が塾は
「塾の利益第一!!」を標榜しております。

生徒にも
事あるごとに言っております。

「なぜ、志望を高くし、合格を成し遂げるのか。
いいか!
それは!
その実績によって塾の宣伝をし、
この塾長を潤すためなのだよ!!
この懐をだよ!!
ぬわっはっはっはっは!!」と。








程度の差こそあれ
どこでもあります。





半沢直樹が
ピーターの法則に当てはまり
頭取が彼の能力を超えたポジションでないことを
期待します。

フィクションなんで
どうにでもなると思いますけど。








非合理性に慣れ
問題を忘れ去り
自分を納得させるような人から
指導を受けたって
なーんにも楽しくなくて、

半沢直樹のようなリーダーには
なれないので、


時折
生徒に
スパイスを振りかけています。










あぶないですねえ。

笑。









でも、
そっちの方が
きっと
随分と楽しいですよ。







音楽で景色が輝く

皆様、こんにちは。鷲見です。

大阪在住の生徒とズームで授業をしているとき
修学旅行の話になり
今年の11月に北海道へ行くというのです。

札幌とか小樽とかへ行ってくるらしいのですが。

味覚がいまいちな僕は
北海道の味わい深い食べ物の良さがいまいちわからず

自然への興味がほぼない僕は
北海道の壮大さをほぼ共感できず

まあ、
つまりは
北海道の良さをいつも紹介できずに終わります。


でも
きっと
良いところです。

でっかいので。










さて、
音楽がテーマの
ハッピーな映画を2本連続で
この前観ました。

家で。


コイワイ先生が
「イエスタデイ」いいよ、というので観てみるか

となりまして。


良かったです。
「うんうん、映画はこういうので良いんだよね。」っていう感じで笑


その余韻に浸りながら
アマゾンが
次の映画をすすめてきまして

「はじまりのうた(Begin Again)」を続けて観ました。

とりあえず
キーラ・ナイトレイが出演しているので観ました。

そして
観始めると
主演の俳優をどこかで見たことがあるのですが
どうしても思い出せません。

検索したい誘惑を断ち切り

「絶対に記憶を漁りこの俳優を確定させる!」と決心し

映画の半分ぐらいの時間を使って
映画鑑賞と並行して
記憶と格闘していました。


まずイメージが手繰り寄せられます。
「なんだか、苦悩している映画に出てたよな、この俳優。」
「その映画でも主演だった?いや主演じゃなかったような。」

この最初のイメージが非常に重要です。
この「糸」をヒントに
記憶をかき分けていこうと。


ぜんぜん
思い出せません。

「名前を知らないのだから
主演じゃないのか」
という仮説のもと

「他に主演がいるけれど
主演級の役での出演」
で記憶をかき分けていきます。


かき分けるといっても
そんなことできるわけもなく

「ううううーーーん」って考えるだけですけど。




そして
映画が半分ぐらい過ぎたところで

脳ってすごいなと感心します。



最近
「インクレディブル・ハルク」という映画を見たのです。
その主役はエドワード・ノートンで
違うのですが


そのハルクがイメージされたときに

脳内のニューロンが発火し
数万個の神経細胞が接続し
まさに稲妻かのように
思い出しました。


「教授じゃん!!!!」


そうです
この映画の主演俳優は
アベンジャーズのハルク役の彼だったのです。

マーク・ラファロでした。


とても良い俳優です。
この「はじまりのうた」を観て
何度もそう思いました。



これも
良い映画です。

何よりも
曲がすべていい。

キーラナイトレイも
とても上手なのですが

なんと
アダムレヴィーンが出演し
歌っているのです。

さすがに上手です。

そして曲がいい。




ウキウキする展開で

さらに
「真っ直ぐ」が
やっぱり一番強いなと
感じさせてくれる
幸せな映画でした。




真っ直ぐに生きるって
それは
なかなか大変で

色々あって
真っ直ぐに進めないこともあって


まあ
それはそれで良いのではないかと思います。


でも
ときどき
思いっきり背伸びすることも
大切なんじゃないかと感じます。
人の迷惑を考えずに、背伸び。
大きく大きく背伸び。



迷惑なんてかければいいんですよ笑



叱られそう。笑







心も
体も
健康第一!




BEGIN AGAIN



伝聞という手抜き

皆様、こんにちは。鷲見です。

ギルバートグレイプが観たくなって
アマゾンプライムを探しましたが
残念ながらありませんでした。

ディカプリオとジョニーデップが出演している映画で
二人の若き才能が溢れています。

なんだか良い映画なんですよね。

「なんだよ、ないのかよ。ちぇっ。」と思っていたところに

夏休み中の大学生から
「BTSいいよ。はまりそう。」という声が聞こえてきまして。


あーー、防弾チョッキとかいう韓国のグループか、と。

ラジオで別所哲也が「彼らは誰にも止められない!」と言っていました。
すごい記録を打ち立てているようで
そのグループ名だけは聞いていました。


正しくは「防弾少年団」




youtubeで見てみたところ
「BTSすげーいいぞ。」となりました。笑

初めて見たのが
「Dynamite」でした。


なんということでしょう、
ダンスがマイケルジャクソンだったのです。

これはオマージュじゃないのか?というレベルで
BTSのダンスがマイケルで、
もうそれでこの曲に完全にハマりました。

最近
夜はずっとこの曲がループしています。

そして踊っています。




さて
テスト直前の中3が多く、
いつになく笑
勉強しています。

ほぼ志望高校も決まったので
学習計画を作成して渡していますが

なかなか予定通りにいかない感じです。

オンラインの方では
googleclassroom やstudyplus などを利用して
学習管理を行っていますが
生徒個人の性格が出てきます。

丁寧に記録し、報告してくる生徒もいますが、
雑な記録や
報告が抜けたりしている生徒もいます。

自分の目標に到達するのならば
正直どんな方法で学習してもらってもよいですが
記録するとか
報告するということは
アドバイスする側からしてみると

丁寧に詳細に記録報告してもらうと
助言しやすい状態にあります。


日々の
数分の積み重ねが
未来の結末を自分の望むものとしていきます。


まあ
そりゃソーだっていう話ですが

当たり前のことを
完璧にやり切れるかが勝敗を分けるのです。



数学の有名な問題集で
「一対一対応」というものがあります。

昔々、
それを一所懸命に解いている生徒がいまして。


その生徒の志望大学は
東京医科歯科大学です。


秋、
そうです、
ちょうど今頃です。

志望学部は保健検査。


彼女は
大学名から怯えているのです、
「難しーーぞー!!」って。

でも、
ちゃんと見て、計算して
その科目のその問題集を解いているのか怪しかったので


予備校算出の合格偏差値と
合格者得点分布、
配点と想定からの二次試験の必要得点を計算して
二次試験の入試問題を実際に見て

現在の学力と照らし合わせて

「今、それが本当に力を注ぐことなのか?」と質問しました。



まっすぐに実体をみないとダメです。
そこから考えないと
正しい課題が見えてきません。


「難関大学だから発展問題が解けないと合格しない。」
「傾向に合わせて対策しないと得点が取れない。」


本当か!?っていうことです。

自分自身で調査したのか?
少なくとも体感したのか?


「伝聞」で受験というなかなか大きな決定をするのか?


日本のほとんどの大学は
標準的なレベルまでの問題が解ければ合格します。

正しくは
標準的なレベルまでの問題が「完璧に」解ければ合格します。


東京医科歯科大保健であれば
数値上、
応用、発展の問題が解ける必要はありません。
もちろん解けるにこしたことはありませんが
最優先事項は
標準までの問題に完全に対応できるか、ということです。


「それじゃ、一対一対応でいいじゃん。」と言われそうですが
他の科目とのバランス考えて
その問題集をやっているのか?ということです。

実際に東京医科歯科大学であっても
保健学部ならば
一対一対応が仕上がっていなくても合格ラインに行きます。




「整数の応用問題の対策をしなければいけない。」
「傾向に合わせて対策をしていかなければいけない。」

それは「上澄み」であって、
そのきれいな部分は
下層の白濁とした沈殿部分が生み出しているんです。

上清だけを生み出すことはできません。



本当に当たり前のことですが
大切なことは
下層の礎、土台なんです。


それを鍛えなければなりません。







徹底的に仕上げる。
完全に修得する。
完璧に対応できる。


普通レベルのことを
そのような状態にできれば
あとは清い上澄みをすくって

合格ラインを確実に突破させます。





普通のことを徹底する、
簡単そうで
簡単ではありません。

それで大学に合格するのですから

それが証です。





まっすぐ
実体を見て
自分で考えなければ
何も得られません。



防弾チョッキじゃないんです。
防弾少年団なのです。


ダイナナナイナナイナナ イエーーー!!




踊るかな。




報答

皆様、こんにちは。鷲見です。

暑くなってきました。
高校生は思いの外、夏休みが「存在」しておりまして。
2週間ぐらいあるみたいです。

私立だと
講習や補講という名の登校日があり
実質1週間程度のところもあるようです。

中学生とともに
振り回されつつ
落ちついて学習できている感じです。


さて、

うがい薬が盛り上がっています。
あの府知事の会見を見ていて
「おいおい笑」と思いました。




数年前に父と弟たちが
我が家の「教育」を肴にお酒を飲んでいました。

僕は
自分の家の方針など
全く興味がなく

酔っぱらって
ソファに寝ながら
(結局寝落ちして、そして誰も起こしてくれず。)
途中まで
その酔っ払いの朝まで生激論を
目を閉じ
聞いていました。

「うちの教育方針はな、『期待しない』なんだぞ。」
「あー、おれ達に対してね。」
「そうそう。」
「なんで?」
「期待したって仕方ないだろ。良くなるか?」
「頑張ろうってなるじゃん。」
「期待に対して頑張ってどうするのよ?本質は違うだろ。」
「あー、なるほどね。」
「『期待する』という技を使うことはあったけどな。」
「おれたちは、『期待されていない』ということに
多少なりとも悩んだけどな。」

弟に同意。



まあ、
その教育方針のおかげで
期待という鎖につながれず
自由を獲得できていたのは幸運であり、
それは
なかなかの”重み”で人格形成に影響を与えています。




府知事の会見を見ていて
「期待への返報」だろうなと思いました。

「役に立ちたい」
「助けになりたい」
「希望をみせたい」

人として大切な気持ちです。
誰かのためにというのは
人の行動へのエネルギーだと思います。


ただ
「期待に応える」というのは
往々にして
自由を奪い
苦しみをもたらし
着地に失敗させます。






生徒にもいろいろいます。

家族の話を
聞いているだけでも疲れてきて
「おまえ、大変だな笑」
ということもありますし、

逆に
ちょっとぐらい
「鎖」につながれているほうがいいんじゃないの?
ということもあります。笑





「期待に応える」ために
必要エネルギーが増大することがあります。

それは
予想外のエナジーを使うこともあります。

客観的な視点を失うことにもなり、
焦燥感に駆られ
適切な行動をとれないこともあります。

恐怖心に変化することもあります。



あまり良いことがないですよね。



「期待に応える」という枠にハマると
それを取っ払うのに
かなりの突き抜けが必要です。

まず
枠にハマっているという認識がなされていませんので
枠を取っ払うという考えに至りません。



そんな時に
生徒にとって
「えっ?えっ?ええ?そんなの良いの?」
みたいな話をして

つついてあげると
ショックとともに
彼らの気持ちはとても楽になります。

たぶん。




自分のために生きて
人のために生きるっていうことです。

期待に応えるために生きているわけではないのです。


期待に応えるなんて
まず
楽しくないですから。





祈願なんだな

皆様、こんにちは。鷲見です。

大学受験生に向けた
年間学習計画を
人数分作成し

先日、高校に納品してきました。


個々の状況を考えて
丁寧に。

ただ
受験生にとっては
共通テストまで
残り数カ月であり

早く
自分の指針がほしいだろうと思って

いっきに作成しました。


修正が必要かもしれませんが
都度方向を確認していけば
大きく間違うことはありません。



帰宅し

ふぃーーと一息。

和室には
広縁がありまして。

そこは大変心地よく
好きな空間ですが

あまり近寄ることはありません。

その日は
なかなか疲れており
暑さもあって

祈願のように
「あついぜぇえ」と唱えつつ

広縁のソファに座って
静かに
休んでおりました。

暑さというのは
自分にとっては
なかなかの宿敵で

振り返ってみても
大変な回数で
「暑い」と口にしてきました。

暑いと言いすぎて
ちびっ子の頃
父親に叱られたぐらいです。


和室の照明はつけず

広縁のライトをつけて
その光をあびながら

「疲れたとは言わないが
暑いとやたらと言うのはなぜだ?」

この1週間
学習計画作成のほか、

なにかといろいろあり


間違いなく体力を消耗し

エナジーの回復するものを求めていました。


疑う余地なく
疲れていましたが
「疲れたぜぇえ」とはあまり言わない。

「暑いぜ」とは
ちびっ子の頃と変わらず言うのです。


なぜだ?と。


おそらく
自分では対処に限界があると感じ

「頼むよーー。暑さから逃して。」

そういう
祈りに近いものなのでしょう。

疲れたと言わないのは
それに対する対処法が
暑さに比べ
豊富なのでしょう。

または
実は疲れていないのか。

まあ
それはありますね。笑




祈っちゃってるんですね。










世の中は
ざわざわしています。

生徒たちは
あまり変わらずに見えますが

ざわついているはずです。







オンラインでは
毎日生徒に課題を出し、
報告を受けるという
やり取りをしています。

できることを
やり続けていきたいと思います。