憂患の思考

みなさん、こんにちは。鷲見です。
とても暑いですね。

本日は昨夜からエアコンの風を浴びつつけて
鼻水が止まらない状況に陥っています。

熱中症とともに
エアコンにも注意しましょう。


「えっ?成績も良くて、勉強もしてて、問題ないのに、どうして塾へ?」

と質問することがありますけれど
それに対する回答は

「まあ、みんな行ってるんで、、」

ということが結構多くあります。



こちらとしては

成績が良いので結果は出る見込みは高く、
勉強ができているので、それを変わらず続けてもらうだけで、
入塾してもらえれば、お金が入ってきて ”ウヒヒヒヒ” 状態なので

メリットしかなのですが、

なんというのでしょうか、

どうしても
その ”怠惰さ” を見ないことにできなくて


「それ、塾に入る理由になってないよね。」

と、
一度キーエンスで徹底的にしごかれるべきセリフが口から出てしまいます。


君は
塾を探す前にすべきことがある
考えなくてはいけないことがある
姿勢を問い直す必要がある

みたいなことを言って
近くにいる保護者を呆れさせるという、笑。



そんなことを言う自分も
自分のこと
呆れてるんです。

もっと商売上手くなれよと。





その子が悪いわけではなく
育ってきた環境や教育が原因ではあるのですが

その病的な思考停止を
どうしても見てみぬふりができなくて

わいわいわーーい と言ってしまいます。

でも
正しいと思ってます。

そして
なかには
追い返されたあと

もう一度やってきて

「考えてみたんです。家族とも話したりして、、」

のように

なぜ塾が必要か
なぜ進学が必要か
なぜその目標なのか

自分なりに考えて
それを話してくれる人もいます。





数多ある人生の ”道” の中で
多くの人にとって
進学は
収束している1点のように考えがちです。

でも
進学しなくてもいいのです。

ほとんどの人が選んでいるオプションというだけです。


選択は
「なぜ?」と問うことを始める推論の所与です。



まあ
「なぜ?」と問うタイミングであるということを認識するための
オプションを表現していない周りの大人のせいではあるんですけど


それならば
この塾長が教えてやるよ

「行かなくてイイんだぜ!大学なんてー!」



一択ではないことを
まず知ること

そして
自分なりに考えて
選択の決定をすること

「どうやって」の前に
「なぜ」という前提にフォーカスして
思考をやめないこと

その怠惰は
屈辱的な「弱さ」につながります。


日本人特有の弱さなのかもしれません。


働くようになれば痛感します。





症候と言ってもいい
その弱さを
訓練すべき時期に
解消することは大切だと思います。





だいたい
「大学行きますよ」となるわけですが。

ツッコミどころ満載の
論理だとしても
考えて出した結論は
重みが違います。



怠慢は許しません。





さあ
カレーライスを食べようー!

お残しは許しません。