選ぶことができる

皆さま、こんにちは。鷲見です。
いいタイミングで
いつもの桜を撮ってきました。

この光景に ”相変わらず” という言葉がつぶやけて
良かったです。
そして
今の自分はどうであるかを
考えながら
いつもの散歩道を
歩くのです。

そういえば
昔は
もっと
激しい人混みだったような記憶があるのですが
最近は
宴会をしている人が
少なくなったような。

まあ
桜を見ながらじゃなくても
宴会はできますし。

昔むかし
弘前城の桜を見たことがあるのですが、
あそこは
まさに圧巻の景色でした。
風景に圧倒された記憶があります。


なんだか
本当にすごかった。

ただ
綺麗だとは思えませんでした。
圧巻の桜の景色を見ても
綺麗だと感じられないのです。
「ピンクだなあ!」とか
「空の青と相まってカラフルだなあ!」
とかは思います。

でも、
キレイ!と思えないのです。
桜色やカラフルであることを
皆さんは綺麗と言っているのでしょうか。

整っていることを
美しいとか
綺麗と感じることはありますが

色を綺麗と思えないのです。

「黒や緑といっしょじゃん」ということになってしまって。


ですから
「紅葉綺麗でした~」という感想をよく聞いたりしますが
どうしても賛同できないのです。

紅葉がキレイであった補足説明を
耳をそば立てて聞いているのですが
色のことしか言わないわけです。

「それ、色がいろいろあるってことですよね?」
「えっ?」
「カラフルってことですよね、それが綺麗だったと?」
「えっ?そう。」
「色合いのことですか。」
「人の心もっているのか、おい笑」

やはり
どこか
欠落しているのかもしれないと
自分で心配になってきました。

「綺麗だー!」と
”合わせて” ”空気読んで” 表現したりはするので
まあ
人として
やっていけますけども。






さて
「猫ミーム」という言葉を頻繁に
最近聞きます。

何でしょうか。
その動画は見たことがありません。

「ミーム」という言葉は
文化、風習、常識の情報群のことを表したりします。

本を読んでいると
この使い方で
ときどき出会いました。




実際にこの言葉を
検索してみると
1976年に生物学者が提唱した造語だそうです。

へえ~、造語だったとは知りませんでした。

「猫ミーム」とは猫のあるある的なことなのでしょうか。

わかりません笑


我々は
「ミームに侵されている存在」ということを
ちょっと意識にとどめておく必要があると思います。

文化や伝統、常識といったことが浸透して
無意識レベルで
行動を制御しています。

それは
自分たちの利益になっているとも限りませんし
昔から存在していて
広く知れわたっているからといって
正しいとも限りません。

そこに注意を払うべきですし
意識して
それを掴み
“採用” すべきかどうか
点検すべきだと思います。




小学生の頃
卵焼き(スクランブルエッグ?)を作ろうとして
母親から
つくり方を教わりました。

何度か作りました。

フライパンを熱してから溶き卵を注ぐように言われ
妹は
それに従い上手に完成させます。

何度か作ります。

そして何度か
フライパンを熱してから溶き卵を注ぎなさいと言われます。

すみ少年は
フライパンを熱する時間がどうしても無駄だと思えて
いつも
熱する前に溶き卵を注ぎます。

妹はいつも上手に完成させます。

すみ少年は
自分の料理工程が一番だと思って
相変わらずフライパンを熱しません。



ある日
すみ少年は
母親から言われました。

「フライパンを熱してから料理すれば
焦げないし、温度が高いので早くできるし、フワッとして美味しいよ」と。




すみ少年にとって
本当に必要だった情報はこれです。



この情報によって
選択できるのです。

時間合理性を優先するのか、
それとも料理完成度を優先するのかを。



私たちは
文化、伝統、常識という名のミームに縛られていることが多々あります。

「フライパンを熱してから料理する」ということは
たいていの場合
利益をもたらすので
妄信的に自分に取り込んでもいいかもしれません。

でも
そうではないこともたくさんあります。

広く普及している常識、
古くから存在している文化、

もしかしたら
正義と肯定されるようなことも。

そういうものが
幾重にも積み重なり
経年によって
僕らは
自分の視座を持つこととなります。






まあ
なんか
難しい感じで書きましたけど

いつの間にか
自分の中に
しみ込んでいる社会の常識とか
頑なにまもっている信念とか

それらって
大切で
人生をとてもうまく回すこともありますが


「なぜかすごく息苦しいなあぁ」と
自分をひたすらに
きつく縛り続けることもあります。

自分が採用している
常識や信念が正しいのか、
本当に選択すべきなのか、

そういうことを
点検できる意識を持つべきなんじゃないかと思います。





我々は
選択できるんですよ。





何でもかんでも
考えてたら
疲れちゃうんで

「なんか苦しいなあ」ってときは
自分の中のこと

常識とか
考え方とか
規範とか

そういうことを
点検してみるとイイのではないでしょうか。


選べるってことを忘れちゃいけません。

そんな余裕を
どこかに置いて考えてください。







進学や
新社会人で

けっこう疲れてくると思うので。




選べるんですよ、
もっと自由に選択できるんです。

なんとかなるもんです。








フライパンを熱しなくても

とりあえず
食べられるスクランブルエッグは作れるのです!!